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2022

10月

10月31日 オランダ戦時中の「飢餓の冬」の体験記をオランダ語で出版

1944年から45年の冬に起きた食糧難は多数の餓死者を出し、オランダでは「飢餓の冬」と呼ばれ、いまだに語り継がれている。私も体験記を綴り、英語で書いたものは小冊子にまとめた。このたび、オランダ語でも出版された。戦争体験を語り継ぐオランダの民間団体Stichting Oorlogsverhalenのサイトで無料公開されている。日本語訳は溝口広美の翻訳で次回の総合文芸誌「あとらす」から連載予定である。

Stichting Oorlogsverhalen

11月

11月16日号の雑誌「財界」で『わたしと日本の七十年』が紹介される

企業アドバイザー(元JBCCホールディングス会長)石黒和義氏が選ぶ「2022年度『経営者のための10冊』」に、ハンス・ブリンクマン著『わたしと日本の七十年 — オランダ人銀行家の回想記』が選ばれました。
「財界」に掲載された石黒和義氏の書評


7月

ブリンクマンの連載エッセイ

原元富雄君と『じゅうえん詩集』の思い出
(ハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳)

「あとらす」30号(2014年7月刊行)から連載中の私のエッセイに共通するテーマは、有名無名に関わらず、私自身が感銘をうけた人物、あるいはそうした人たちの生き方と言えましょう。今回のエッセイで取り上げた原元富雄君も、私に強烈な印象を残した個性豊かな人でした。


購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌 あとらす 46号(定価1、000円+税)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643
nishi-da@f6.dion.ne.jp

1月

ブリンクマンの連載エッセイ

『サイデンステッカー氏のこと』(ハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳)

日本文学研究者のエドワード・サイデンステッカーが訳した川端康成や谷崎潤一郎の小説を読みながら日本文化に親しんだわたしは、大晦日の京都でばったり、当人と遭遇したことがある。しかも、ちょっと珍しい人がからんでいたものだから、ただではすまなかった。


購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』45号(定価1、000円+税)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643

2021

10月

The Japan Writers Conference(JWC)
日時 10月15日(金)~17日(日)
場所 Zoomでのバーチャル会議

詩人ジョン・グリブル氏が主催するJWC。今年も去年同様、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点からZoomによるオンラインイベントとなった。

10月16日(土)午前11時

“Maintaining Close Connections with a Country or City can help your Career”
発表者 Hans Brinckmann

自分の文学が日本や京都と深く関係してきた過程について、数多くの写真を交えながら、ブリンクマンが語る。クリック(約50分間の発表)

京都ジャーナル 99号 (デジタル版 219ページ) 価格550円

ブリンクマンのThe Call of Japanの書評と、同書からの和歌山の旅のエピソードが掲載されている。

7月

ブリンクマンの連載エッセイ

『他生の縁』(溝口広美訳)

“かつて「たまきく」と呼ばれ、大富豪から女学生までをも魅了した美しい芸者だったその女性は、私の人生において、わずかながらも重大な役割を果たしてくれた。彼女の生涯は哀れだったかもしれないが、目に見えないどこかで徳は成されるということを教えてくれるものでもあった。…”

このようにして始まるブリンクマンの最新エッセイをお楽しみください。


購読をご希望の方は西田書店へ直接ご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』44号(定価1、000円+税)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643
e-mail: nishi-da@f6.dion.ne.jp

6月

第6回京都ライティングコンペティション文学賞3等賞受賞!

今年の初めに、第6回京都ライティングコンペティション文学賞に挑戦した。この文学賞の主催はライターズ・イン・京都(Writers in Kyoto)。京都を拠点とする、もしくは私のようになんらかの形で京都にゆかりのある、英語で著述する作家協会だ。作品の形式は問わず、300ワード以内で、テーマは「京都」。

5月15日に受賞作が発表された。「今回は世界21カ国から様々な国籍のライターたちが作品を寄せ、審査員たちも悩みましたが、第6回京都ライティングコンペティション文学賞の結果は以下のとおりです」

なんと、驚いたことに、わたしのエッセイ『Restaurant Boer(レストラン・ヴア)』が3等賞を受賞!

(選評)
「京都で初めて開業したオランダ料理レストランの様子が、ユーモアと愛情あふれる魅力的な文章で生き生きと描かれている。個人的なストーリーを語る筆者は確かにその場にいたことが、よくわかる。異文化ゆえにレストランでは誤解が引き起こされてしまったものの、それでもハッピーエンディングに終わったところが素晴らしい。最後に登場する橋のイメージが、この短い話を際立たせている。レストランはなくなったものの、そのかわり、人生のパートナーと出会えたのである。」

Restaurant Boer 原文(英語)

『レストラン・ヴア』 ハンス・ブリンクマン (溝口広美訳)

昭和33年の春に、友人の藤井さんが木屋町で小料理屋を始めるというので、手伝うことにした。木屋町四條下ルにあった婦人科医所有の空きスペースで、目の前に高瀬川が流れていた。日本でとまではいかないが、京都では明らかに、初めてのオランダ料理屋ということで、わたしが店名をいくつか提案したところ、藤井さんが「農民」という意の「ヴア」を選んだ。うなぎの燻製や栄養たっぷりのスープなどの品々に加え、オランダではblinde vinkenと呼ばれる大変おいしい仔牛肉のベーコン巻きをお勧め料理とし「めくらの雀」と意訳してメニューに載せた。なんとも奇妙な名前の、このオランダ料理こそが、店の繁盛を約束してくれるにちがいない。

「めくらの雀」には温野菜やジャガ芋を付け合わせた。ジャガ芋は、17世紀にオランダ貿易商がジャワのジャガタラ(ジャカルタの旧名)から持ってきた「ジャガタラ芋」を略した言葉といわれている。チーズ料理や、「猟師のシチュー」と呼ばれるリンゴ入りの肉、ジャガ芋、玉ねぎの煮込み料理なども作った。

当初は予約客などで賑わったものの、次第に客足は遠のいていった。たぶん「めくらの雀」に恐れをなしたのであろう。味ではなく、食欲をそがれるような名前が悪かったのだ。それから「ヴア」という店名も助けにならなかった。みやびな古都に「農民食堂」はふさわしくなかったのだろう。結局、店は1年も続かなかった。

それでも唯一のハッピーエンドは、同じ年の10月に、妻となる吉田豊子と「ヴア」の前で見合いをしたことだった。なぜ店の前だったのか。実は店の中で会う約束をしていたのだが、ちょうど葬列が高瀬川に架かる橋を渡ったところで、豊子は「不吉だから渡りたくない」と言ったため、わたしが橋を渡った。見合いは予定通り運び、わたしたちは意気投合し、4ヶ月後に夫婦となり、幸せな結婚生活を全うした。


レストラン「ヴア」英語による案内
(昭和33年)
「ヴア」のあった場所に立つハンス
「ヴア」のあった場所に立つハンス
(平成22年撮影)

オランダ人に大人気の
blinde vinken(めくらの雀)

1月

ブリンクマンのZoomオンライン講義

オランダの蘭日協会主催
日時 1月24日(日)
“70 years in Japan’s Postwar History: Individual Memories, Collective Experiences”

拙著The Call of Japanにもとづいてパワーポイントを含めながら行われた1時間あまりのZoomによる講義。オランダの蘭日協会会員に加え、イギリスや日本からの参加者も含めおよそ70人が集まり、多くの人たちから質問やコメントが寄せられた。先にロンドンの日本協会で行ったものとほぼ同じ内容なので、視聴ご希望の方は、こちらのYouTubeサイトより視聴可能です。

1月

ブリンクマンの連載エッセイ

『日本建築に魅了された建築家 ノーマン・F・カーヴァのこと』(溝口広美訳)

東京オリンピックが開催された1964年に、アンコールワットで偶然出会ったアメリカ人建築家との長きにわたる交流を綴る。ミシガン州カラマズー出身の彼は写真家でもありライターでもあり、日本の著名な映画監督に影響を与えもした。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』43号(定価1、000円+税)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643

2020

12月

「希望の丘のバラード」 YouTubeにて配信中https://www.youtube.com/watch?v=qtOMYWLLGOk&feature=youtu.be

作曲&ピアノ演奏:パブロ・エスカンデ(Pablo Escande)
作詞:ハンス・ブリンクマン(Hans Brinckmann)
テノール歌手:ペドロ・アダラガ(Pedro Adarrage)

シドニーで暮らしていた1995年に書き上げた「希望の丘のバラード」を読んだ人が、この詩に曲をつけるよう勧めてくれた。知り合いを通じて紹介されたのがアルゼンチン出身アムステルダム在住の作曲家パブロ・エスカンデだった。私の詩を気に入り、この詩にふさわしい曲を作ることを約束。後から聞かされたのだが、この詩にインスピレーションをえた彼は、しばしば深夜遅くまで作曲に没頭したという。

2000年2月18日、ハーレム市内のKadensコンサートホールで、テノール歌手ペドロ・アダラガと作曲者パブロ・エスカンデ自身のピアノ伴奏による「希望の丘のバラード」が初演された。オランダ国内で2度目に演奏された時にも、同じテノール歌手とエスカンデの伴奏だった。

パブロ・エスカンデは2011年より、妻のチェンバロ奏者三橋桜子と共に京都を拠点に音楽活動を行なっている。

「希望の丘のバラード」は『対訳終わらない一日 〜 ハンス・ブリンクマン詩集』(トラフォード出版、2011年)に収録されている。2011年11月6日の英字新聞ジャパンタイムズに掲載されたスティーブン・マンスフィールドの書評を抜粋する。

「ブリンクマンは、一貫して、ミディエーターとして自らを位置づける。あたかも時の流れに助けられながらエネルギーを再補給し、そのエネルギーを送り出す。偉大な詩人も含め人間存在のむなしさのみを謳う詩人がいるが、ブリンクマンは、人生のみなぎる活気を讃える。たとえ、年とともに、その活気が穏やかな流れのなかに飲み込まれていこうとも。

本書の巻末を飾るのは『希望の丘のバラード』だ。詩集のなかで最も長いこの作品は、ヴィクトリア朝詩人マシュー・アーノルドやアーサー・ヒュー・クラフをどことなく彷彿とさせるところがあるが、作品にあふれる楽観は時間を超越し、潮流をなし、環状を描く。吟遊詩人オルフェウスのように、隠された人間の本質と歴史のかたちを、あからさまにしてゆく。」

アマゾンからのご注文(日本語):amazon.co.jp

10月

今夏イギリスのルネッサンスブックスから出版されたブリンクマンの回想記The Call of Japanの書評の抜粋と、原文(英文)をご覧ください。

「ドナルド・キーン、エドワード・サイデンステッカー、ドナルド・リチーが去った今、戦後日本の稀に見る復興と変遷を直接体験したブリンクマンは、ごくわずかに残された歴史の生き証人なのである」(評者:スティーブン・マンスフィールド)10月17日付英字新聞ジャパンタイムズ 原文

「ハンス・ブリンクマンは自分の前に立ちはだかった好機も困難も乗り越え、ついには、和を求め思いやりあふれる日本の中庸の徳に対し、深々と頭を下げるのだった。本書に掲載されている写真も美しい。クリスマスや新年の贈り物にふさわしい一冊がThe Call of Japanといえよう」(評者:ロジャー・バックリー)ロンドン日本協会の書評より 原文

「ブリンクマンは第二の故郷である日本の文化や社会や人々を愛しく見つめ、結婚生活を懐かしい思いで綴っているわけだが、それと同時に、日本には、いまだにきちんと立ち向かうことも克服することもなされていない「根本的な問題の数々」が山積みにされていることも、忘れることなく述べている。本書を大学のリーディングリストに加えるべきだと、筆者は切に思う」(評者:ヘンリー・ヒルトン)10月24日付ジャパントゥデイ(オンラインメディア) 原文

ブリンクマンのオンライン講義

ロンドン日本協会
日時 10月18日(日)
"70 years in Japan's Postwar History: Individual Memories, Collective Experiences"

拙著The Call of Japanにもとづいてパワーポイントを含めながら行われた1時間あまりの講義。85人近くがzoomで参加し大好評だった本講義を視聴ご希望の方は、こちらのYouTubeサイトより視聴可能です。

The Japan Writers Conference(JWC)
日時 10月10日(土)〜11日(日)
場所 zoomでのバーチャル会議

詩人ジョン・グリブル氏が主催するJWC。今年は新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点からzoomによるオンラインイベントとなった。

10月11日(日)午後3時

"A theme-oriented memoir, based largely on a personal journal, is an effective way to convey one's thoughts to readers'"
発表者 Hans Brinckmann

回想記や自伝を書くにあたり、日記や備忘録がいかに重要な役割を果たし、説得力のある素材となるかということを論じた。

7月

ブリンクマンの連載エッセイ

『「ビッグW」が教えてくれたこと』
(溝口広美訳)

昭和25年11月からナショナル・ハンデルス銀行の神戸支店の6人目のオランダ人として働きはじめたブリンクマン。職場にはオランダ人から「ビッグW」と呼ばれ一目置かれていた人物がいた。18歳のブリンクマンは「ビッグW」こと矮松岩一さんから、多くのことを学ぶのであった。個人的な思い出や心に浮かぶ情景を繊細に綴った本エッセイを、『あとらす』編集長は 「「ビッグW」への手向け、紙碑」と絶賛。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』42号(定価1、000円+税)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643

1月

ブリンクマンの連載エッセイ

巻頭掲載『ヤンウィレムのこと ー 禅からミステリー作家への道』(溝口広美訳)

オランダ人ミステリー作家のヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンクと親交のあったブリンクマンが、ミステリー作家に至るまでのヤンウィレムの足跡をたどりながら、彼と日本とのつながりを綴る。


購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』41号(定価1、000円+税)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643

2019

1月

ブリンクマンの連載エッセイ

短編小説『梅の木ふたたび』(溝口広美訳)

2016年パシフィック・リム・ブックフェスティバル文学賞選外佳作賞を受賞したブリンクマンの短編小説集The Tomb in the Kyoto Hillsに掲載されているTwice upon a Plum Treeの邦訳。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』39号(定価1、080円)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643

平成の終わりに、ブリンクマン著Showa Japan – The Post-War Golden Age and its Troubled Legacyを読んでみませんか?1,100円でタトル出版より再出版されました。丸の内丸善と京都丸善には、在庫があります。他書店でしたら注文受付可能です。

ご注文の際の書誌情報はタトル出版のウェブサイトをご参照ください。


The Tomb in the Kyoto Hillsをはじめとする、ブリンクマンの著書のご注文はこちら

2月

〈京都〉

講演 ‘Kyoto in the 1950s’
日時 2月3日(日) 午後4時
場所 龍谷大学大宮キャンパス

京都を拠点に英語で執筆活動を行なっているライターズ・イン・京都に招かれ、1950年代の京都で出会った人々について、当時の写真を交えながら話した。

参加者たちから好意的な意見やコメントが寄せられ、講演会は予想以上に盛り上がった。興味のある方は、ライターズ・イン・京都のレポートをご覧ください。
‘Kyoto in the 1950s’講演内容のレポート

7月

ブリンクマンの連載エッセイ

巻頭掲載
『サボテンスープと不思議な木』
(溝口広美訳)

カリブ海に浮かぶキュラソー島での暮らしを回想するエッセイ。「癒しの島」という意味のキュラソー島で、ブリンクマンと妻の豊子は、一体なにを発見したのか。


西田書店HPの「投稿誌あとらす」で、本エッセイが無料公開されています。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』40号(定価1、080円)
電話 03ー3261ー4509
ファックス 03—3262—4643

10月

〈東京〉

The Japan Writers Conference(JWC)
日時 10月12日(土)〜13日(日)
場所 明治学院大学

詩人ジョン・グリブル氏が主催するJWC。今年は台風19号が関東を襲ったため、12日(土)のプログラムは急遽13日に移動、コンフェレンスは13日(日)のみ開催となった。

"How giving talks and lectures on any suitable subject can help promote your books'"
発表者 Hans Brinckmann

当初の予定より1時間遅れの正午から始まったブリンクマンの発表は、パワーポイントを見せながら、小規模のトークやレクチャーであっても、自著の販売活動につながる可能性もあることを、実例を挙げ説明。複数のプログラムが同時進行で行われていたため、思ったより少ない人数しか集まらなかったが、誰もが熱心に耳を傾け、質問も寄せられた。

2018

1月

ブリンクマンの連載エッセイ

総合文芸誌『あとらす』37号

『宇宙から戻った上院議員 ー 上院銀行委員長ジェイク・ガーン』(溝口広美訳)

全米外国銀行の銀行協会会長として、ジェイク・ガーン上院議員に陳情した時の思い出を綴ったエッセイ。宇宙から戻ったばかりの上院議員とのドッキングは、果たして、成功したのだろうか。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』37号(定価1、080円)
電話 03ー3261ー4509

日本外国特派員協会の会員誌Number 1 Shimbun(January 2018 Volume 50)に掲載されたエッセイ

His Hidden Acting Talent - A Memorable Evening With Konosuke Mastushita, Founder of Panasonic

なお、本エッセイの邦訳は『意外な演技力〜松下幸之助のおもいで』(溝口広美訳)として、総合文芸誌『あとらす』 31号に掲載。

イベントのお知らせ

オランダ王国大使館にて、ブリンクマンのレクチャーを行います。2月23日までに下記RegistrationのLINKからお申し込みください。

日時:2018年2月28日(水)
時間:18:30〜20:30(開場18:15)
会場:オランダ王国大使館 〒105−0011東京都港区芝公園3−6−3
言語:英語
参加費無料

The Challenges of Dutch Life and Work in Post-War Japan - Presentation by Hans Brinckmann

Date: Wednesday 28 February 2018
Time: 18:15 - 20:30
Timeline:
18:15 : Doors open
18:30-18:35 : Introduction
18:35-19:30 : Presentation by Hans Brinckmann with Power Point + Q&A
19:30-20:30 : Networking drinks and buffet
20:30 : Closing

Address: Residence of the Ambassador of the Kingdom of the Netherlands to Japan 3-6-3 Shiba-koen, Minato-ku, Tokyo 105-0011, Japan (MAP☆)

Language: English (without interpretation)

Entrance fee: Free

Summary:
Hans Brinckmann, Dutch national and long-time resident of Japan, will talk about his experiences living in Japan from 1950-1974, illustrated with his photographs from that period.

Outline:
Hans Brinckmann came to Japan as a junior staff employee of the Nationale Handelsbank (NHB) in 1950, two years before full diplomatic relations between Japan and the Netherlands resumed after the war. Over the next 24 years, he worked in the NHB branches in Kobe, Osaka and Tokyo. After Japan, he worked in several other countries, ending with an 8-year stay in New York, where in 1986 Queen Beatrix made him an Officer in the Order of Oranje-Nassau. He quit banking in 1988, to turn to writing. Since then, he published six books, two of which were also published in Japanese, in Hiromi Mizoguchi's translation. Three of his books received literary prizes. In 2003 he returned to live in Tokyo again, and in 2013 he moved to Fukuoka.
In today's presentation, he will talk about his many unforgettable experiences as a Dutch national living in Japan from the 1950's to the early 70's and the role his bank played in Japan's postwar recovery.
For more information on Hans Brinckmann, please visit his websites.
English/Japanese website: www.habri.jp
English website: www.habri.co.uk
Amazon page: www.amazon.com/author/hans-brinckmann

Registration: LINK (google docs) (Click the link to register)
Registration deadline: Friday 23 February 2018. Due to limited seating, it is possible that the registration will be closed before the deadline. Thank you for your understanding.

Queries: Embassy of the Netherlands - Department for Public Diplomacy, Politics and Culture
Email: TOK-PPC@minbuza.nl

2月

〈東京〉

ブリンクマンが語るThe Challenges of Dutch Life and Work in Post-War Japan

日時 2018年2月28日(水)
会場 オランダ王国大使館出島ラウンジ

オランダのナショナルハンデルス銀行の神戸支店に赴任することになり、1950年に初めて日本にやって来たブリンクマン。それから6年間、一度もオランダに帰らずに、神戸、大阪、東京で働き、暮らした。当時のオランダ人コミュニティーについて、職場の様子や、神戸、大阪、東京の印象について、アルバムの写真をパワーポイントで見せながら60分ほど話をし、見合い結婚にたどり着く直前で、終えなくてはならなかった。

60人余りの聴衆からは、話が終了しても、会場の出島ラウンジで質問を受け、見合い結婚のことも含めた話を「もっと聞きたい」「前回の東京オリンピックはどうだったか」と言われ、再び出島ラウンジで続きを話すことになった。

今回のイベントは、溝口広美が、オランダ王国大使館のキム・ダン政策オフィサー(写真右下)に依頼して実現した。

撮影 溝口広美

イベントのお知らせ

ブリンクマンの講演会

日時:2018年6月5日(火)夕方
会場:オランダ王国大使館出島ラウンジ
言語:英語
参加費無料ですが事前予約要 6月1日までに下記RegistrationのLINKからお申し込みください。

"Life, Work and Society in Japan between 1956 and the mid-1970s"
- Presentation by Hans Brinckmann, follow-up to his February 28 presentation


Date: Tuesday, June 5th, 2018
Time: 18:15 - 20:30
Timeline:
18:15 : Doors open
18:30-18:35 : Introduction
18:35-19:45 : Presentation by Hans Brinckmann with Power Point + Q&A
19:45-20:30 : Networking drinks
20:30 : Closing

Address: Dejima Lounge at the Embassy of the Kingdom of the Netherlands to Japan 3-6-3 Shiba-koen, Minato-ku, Tokyo 105-0011, Japan (MAP☆)

Language: English (without interpretation)

Entrance fee: Free

Summary:
Hans Brinckmann, Dutch national and long-time resident of Japan, will talk about his experiences living in Japan from 1950-1974, illustrated with his photographs from that period. This is a follow-up to his presentation on 28th February, when he focused on the period 1950-1956. This time he will talk about the years 1956 to the mid-1970s.

Outline:
Hans Brinckmann came to Japan as a junior staff employee of the Nationale Handelsbank (NHB) in 1950, two years before full diplomatic relations between Japan and the Netherlands resumed after the war. Over the next 24 years, he worked in the NHB branches in Kobe, Osaka and Tokyo. After Japan, he worked in several other countries, ending with an 8-year stay in New York, where in 1986 Queen Beatrix made him an Officer in the Order of Oranje-Nassau. He quit banking in 1988, to turn to writing. Since then, he published six books, two of which were also published in Japanese, in Hiromi Mizoguchi's translation. Three of his books received literary prizes. In 2003 he returned to live in Tokyo again, and in 2013 he moved to Fukuoka.
In this presentation, he will talk about his experiences as a Dutch national living in Japan from 1956 to the mid-1970's, his unusual miai marriage, the role his bank played in Japan's postwar recovery, and the return of Japan to the ranks of A-class nations.
For more information on Hans Brinckmann, please visit his websites.
English/Japanese website: www.habri.jp
English website: www.habri.co.uk
Amazon page: www.amazon.com/author/hans-brinckmann

Registration: LINK (Click the link to register)
* The registration link is password protected. Password = Brinckmann
Registration deadline: June 1st, 2018. Due to limited seating, it is possible that the registration will be closed before the deadline. Thank you for your understanding.

Queries: Embassy of the Netherlands - Department for Public Diplomacy, Politics and Culture
Email: TOK-PPC@minbuza.nl

6月

〈東京〉

ブリンクマンが語るLife, Work and Society in Japan between 1956 and the mid-1970s

日時 2018年6月5日(火)
会場 オランダ王国大使館出島ラウンジ

2月28日にThe Challenges of Dutch Life and Work in Post-War Japanと題した講演を行い、1950年に初めて日本に来て、神戸、大阪、東京で働き、暮らした時の様子や、当時のオランダ人コミュニティーについて話した。今回はその続きということで、1956年のオランダへの一時帰国から始まり、1959年の見合い結婚や1964年の東京オリンピックの思い出なども含めた、日本の高度経済成長期の様子を、前回同様、写真を交えながら語った。聴衆者の中には「昔はよかった」というコメントを寄せてくださる方もいた。

日本外国特派員協会の会員誌Number 1 Shimbun(May 2018 Volume 50)にエッセイが掲載されました!

Tapestries for the Empress

なお、本エッセイの邦訳は『皇后のタペストリー関東大震災前後の日本と不思議なつながりを持っていたポーランド人貴族との邂逅』(溝口広美訳)として、総合文芸誌「あとらす」30号に掲載。

「あとらす」(定価1080円)のご注文は西田書店(電話03-3261-4509)へどうぞ

7月

ブリンクマンの連載エッセイ

総合文芸誌『あとらす』 38号

『ロスチャイルドの印鑑』
(溝口広美訳)


東京オリンピック直前の1964年夏に、ブリンクマンのもとを訪れた、とある英国紳士の思い出を綴ったエッセイ。日本と縁のあったこの人物をブリンクマンは、いかにして、もてなしたのか。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』 38号(定価1、080円)
電話 03—3261—4509
ファックス 03—3262—4643

イベントのお知らせ

(北海道小樽市)

10月13日(土)、14日(日)に小樽商科大学でJapan Writers Conferenceが開催され、ハンスブリンクマンと溝口広美も発表をする予定です。

参加無料ですので、ご興味のある方はJapan Writers Conferenceのサイトをご参照ください。

10月

〈小樽〉

The Japan Writers Conference(JWC)
日時 10月13日(土)〜14日(日)
場所 小樽商科大学

詩人グリブル氏が主催するJWC。今年は小樽商科大学のショーン教授の招きで、120人ほどの日本在住の、英語で執筆する作家、詩人をはじめとするライターたちが小樽に集まった。2日間で36あまりの発表やワークショップが行われ、ハブリチームもパワーポイントを見せながら発表を行った。

10月13日(土)午後2時から3時まで

"What to avoid and what to focus on when writing about 'Japan'"
発表者 Hans Brinckmann

10月14日(日)午前10時から11時まで

"Deconstruction my translation of Brinckmann's 'The Tomb in the Kyoto Hills and other stories'"
発表者 Hiromi Mizoguchi

2017

1月

総合文芸誌『あとらす』35号に掲載中のブリンクマンの短編小説

『夫婦それぞれのペットたち』
(溝口広美訳)

愛犬家と愛猫家の夫婦の有様を、アイロニカルに描く。

購読希望者は 西田書店へご連絡ください。
総合文芸誌『あとらす』35号(定価1,080円)
電話 03−3261−4509


12月のイベントの報告

〈アムステルダム〉

ブックイベント@Perdu

日時 2016年12月22日(木)午後8時より
場所 詩集専門店Perduのイベントホール(アムステルダム)

前半は、Pacific Rim Book文学賞を受賞したIn the Eyes of the Son(2015年受賞)とThe Tomb in the Kyoto Hills and other stories(2016年受賞)における自伝的要素についてのハンス・ブリンクマンによる講義。後半は、溝口広美がThe Tomb in the Kyoto Hills and other storiesに描かれているリアリズム的要素を、翻訳者の立場から説明。

25人の参加者からは、いろいろな質問が寄せられ、活発な議論や意見交換が10時半頃まで続いた。

イベントのお知らせ

〈東京〉

ブリンクマンが語る「ドイツ占領下オランダでの戦時体験」(使用言語は英語)

1944年から45年の「飢餓の冬」について、ドイツ占領下のハーグ市郊外で過ごした子供の頃の思い出について、食糧難と空襲に苦しみ、食料を求めて子供用自転車に乗り単独出かけた時の忘れられないエピソードについて、さらに、ドイツ軍と取引をしつつ密かに人をかくまっていた父親について、ブリンクマンが語る戦争の記憶。

日時 3月14日(火曜日)午前10時から12時
場所 ナレッジソサエティ (千代田区九段南1−5−6りそな九段ビル5階)
主催 デ・リーフデ会(日蘭協会の一分科会)

入場者数が限られております。出席ご希望の方は、まず初めに、info@habri.jpにご連絡をください。

3月

〈東京〉

3月14日(火曜日)午前10時から12時
講演会 ブリンクマンが語る「オランダにおける戦中戦後の生活体験談」
場所: ナレッジソサエティ (千代田区九段南1−5−6りそな九段ビル5階)
主催: デ・リーフデ会(日蘭協会の一分科会)

1944年から45年の冬、ドイツ占領下の西部オランダ一帯は深刻な食糧難に見舞われた。「飢餓の冬」と呼ばれ、今でもオランダでは語り継がれている。

この日、45人の聴衆(席は事前予約の段階で完売)を前に、パワーポイントで関連する写真を見せながら、時には戦時体験記The Monkey Danceの朗読もまじえ、いかにして12歳のオランダの少年(ブリンクマン)を含む家族全員が、ナチス占領下の「飢餓の冬」を生き延びることができたのかについて語った。

本講演の内容は、終戦70周年によせて綴ったエッセイ『銃とカトラリー』(「あとらす」32号に掲載)及び、戦時体験をまとめた自伝The Monkey Dance, Chronicle of a 12-year old Dutch boy in the Winter of Starvation, 1944-1945をもとに構成されたものである。

The Monkey Dance購入ご希望の方は、トップページの下にあるメールアドレスから、ご連絡ください。「あとらす」32号は、西田書店へ直接ご連絡してご購入ください。


The Monkey Dance
定価700円+郵送代金

戦時体験を語るブリンクマン
 

あとらす 32号
定価1、080円
西田書店 03—3261−4509

サインに応じるブリンクマン
 
 

7月

総合文芸誌『あとらす』36号に掲載中のブリンクマンのエッセイ

『生涯現役の研究者〜航空宇宙学のヒルトン博士』(溝口広美訳)

連載8回目のエピソードの主人公は、シドニーからロンドンへ向かう飛行機で隣り合わせになったヒルトン博士。真面目な功績を残した博士の「奇妙な趣味」とは何か。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。

総合文芸誌『あとらす』36号(定価1、080円)
電話 03—3261—4509


『銃とカトラリー』の原文が、2017年8月10日付のジャパンタイムズに掲載されました!Of Guns and Cutlery

『あとらす』32号 (2015年7月25日発売)
『銃とカトラリー』(ハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳)

終戦70周年によせて、ブリンクマンが綴ったエッセイ。日本軍戦闘機の部品の一部に使用されていた“とある物”を手にした途端に、爆撃と飢餓に苦しめられたドイツ占領下のオランダで過ごした少年期、両親のこと、ドイツ兵のことなどが思い出され、さらに終戦直後の神戸で見た悲惨な有様が記憶の彼方からよみがえる。そうした回想の果てにたどり着く真実とは。

10月

〈東京〉
The Japan Writers Conference(JWC)
日時 10月8日(日)〜9日(月)
場所 日本大学芸術学部江古田キャンパス

"How Boyhood Memories of the Second World War Turned into Two Publications"
発表者 Hans Brinckmann


発表するブリンクマン

会場にて

第二次大戦をめぐり、ふたつのエッセイを執筆した。

一度も会うことのなかった慶應義塾大学出身の義父は、終戦後まもなく、自転車の横転事故が原因で亡くなった。彼のことを綴ったエッセイ『銃とカトラリー』(溝口広美訳)は、終戦70周年の年にあたる2015年の夏、文芸誌「あとらす」32号に掲載され、今年の2017年8月10日には、その原文(英語)が、ジャパンタイムズでも掲載された。


The Monkey Danceの表紙
The Monkey Dance
Chronicle of a 12-year old
Dutch boy in the Winter of
Starvation, 1944/1945

Hans Brinckmann

もうひとつのエッセイThe Monkey Danceは、1944年から45年のオランダの「飢餓の冬」における戦時中の体験記。当時12歳の私は子供用自転車で、ハーグ市までの10キロの危険な道を、幾度か走らなければならなかった。父から食糧を受け取るためだった。ハーグ市内で文房具店(左の写真の建物)を営んでいた父は、その店の上階に住んでおり、そこにはさまざまな「秘密」が閉じ込められていたのである。

JWCの発表では、このふたつのエッセイの一部を朗読しながら、実際に記憶している会話や言葉を補い、緊張や驚異を感じた瞬間を強調し、ユーモアのセンスも怠らないようにすることで、個人的体験談でも、れっきとした「文学」になることを講じた。


2016

1月

総合文芸誌『あとらす』33号に掲載中のブリンクマンのエッセイ
『油壺のライシャワー』(溝口広美訳)

1961年から66年まで駐日アメリカ大使を務めたエドウィン・O・ライシャワーの思い出を綴ったブリンクマンの個人的回想。

購読希望者は西田書店へご連絡ください。
総合文芸誌『あとらす』33号(定価1,080円)
電話 03-3261-4509

4月

受賞のお知らせ

4月9日ホノルル市内にて、「2016年パシフィックリムブックフェスティバル文学賞」が発表され、ハンス・ブリンクマンの短編小説集The Tomb in the Kyoto Hillsと対訳付詩集The Undying Dayが、選外佳作賞を受賞!

The Tomb in the Kyoto Hills ~ 日本を舞台にした5つの短編小説集

表題の小説は、1970年代の日本で暮らしていた時にブリンクマンが聞かされた、実際にあった出来事をもとに書かれている。当時、京都の山で起きた少年画家の怪死を調べるため、アメリカ人夫妻が京都へ引っ越してきた。天才少年の幻の墓と彼の死の謎を解き明かすブリンクマンが見つけたものとは何か。


A Leap into the Lightは、ブリンクマンが1950年代に大阪で知り合った、中国の骨董蒐集家でもあった中年のオランダ人ビジネスマンからインスピレーションを得た作品。養子として引き取った日本人の少女と結婚した彼は、退職後、幼い妻を伴い船でポルトガルへと旅立った。そこからキャンピングカーで地中海に沿ってギリシャへと向かったものの、その後二人がどうなったのかはわからない。作者の想像力を駆使した意外な結末が待っている。

Pets in Marriageは犬好きの妻と愛猫家の夫が富士山麓で迎える重大局面のストーリー。

Kyoto Bus Stopは、後半で描かれている宿泊先での恐怖の体験を含めブリンクマンの体験をもとに書かれた作品。

Twice Upon a Plum Treeも実体験からヒントを得ているが、ブリンクマンにあたる主人公を、銀行家から外交官に変えて展開される恋愛小説。

ジャパンタイムズに掲載された書評

対訳付詩集The Undying Day

〜書評より〜
“ブリンクマンは、終始、時間の流れによって力を満たされるミディエーターとして自らを位置づける。取るに足りない人間存在だけにこだわる詩人はいる。偉大な詩人にもそうした人がいる。しかし、ブリンクマンは、人生のみなぎる活気を讃える。たとえ、年とともに、その活気が穏やかな流れのなかに飲み込まれていこうとも。”(2011年11月6日付ジャパンタイムズ掲載。評者スティーブン・マンスフィールド)


購入をご希望の方はこちらまで。

短編小説集The Tomb in the Kyoto Hills

対訳付詩集The Undying Day

7月

総合文芸誌『あとらす』34号に掲載中のブリンクマンのエッセイ

『硬貨になった貴婦人との二度の出会い』(溝口広美訳)

1963年にはオランダの王女、1987年には女王として出会ったベアトリクス。彼女と交わした会話から、意外な人物像が浮かび上がってくる。共和国としての歴史を経て王国となったオランダの歴史と、オランダ王室についての興味深いエッセイ。

購読希望者は 西田書店へご連絡ください。
総合文芸誌『あとらす』34号(定価1,080円)
電話 03−3261−4509

9月

詩集『終わらない一日』の朗読

九州の山深い里にある「共星の里黒川INN美術館」(福岡県朝倉市)のアーチスト・イン•レジデンスとして、オランダ人アーチストのイヴォンヌ・ベーレンさんが、3ヶ月間滞在。この風変わりな美術館で、彼女の奇抜な個展「アナ・シルマイ」が開催され、9月22日には、アーチストトークと題して、イヴォンヌさんが作品について語り、鑑賞者からの質問に答えた。その後、ブリンクマンと溝口が、イヴォンヌさんのアートを祝し、詩集『終わらない一日』を英語と日本語で朗読。

共星の里ウェブサイトhttp://blog.goo.ne.jp/kyouseinosato


共星の里館内

自作を語るイヴォンヌ

イヴォンヌ作アマテラス

詩の朗読

12月

イベントのお知らせ

ブックイベント
The Tomb in the Kyoto HillsIn the Eyes of the Son

ハンス・ブリンクマンと溝口広美による本の紹介とレクチャー

日時 12月22日(木)午後8時~
場所 Perdu本屋および文化センター(アムステルダム)

※ 詳細は英語版ハブリのAttention!をご参照ください

10月

〈徳島市〉
The Japan Writers Conference(JWC)
日時 10月29日(土)〜30日(日)
場所 徳島大学常三島キャンパス

Autobiographical fiction: what is it, and how to mould experience with invention?
発表者 Hans Brinckmann

いかにして自伝的要素を小説的ナラティブに転換させるのか。The Tomb in the Kyoto HillsIn the Eyes of the Sonを引用しながら、作者自身の体験が作品と切り離され、そこから独立した小説的世界を構築していく過程について講義した。


発表するブリンクマン

会場の入り口前にて

2015

1月

総合文芸誌『あとらす』31号のエッセイ

『意外な演技力〜松下幸之助のおもいで』(ハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳)

1967年1月。東京のとある邸宅で開かれたホームパーティー。そこでブリンクマンが見た松下幸之助氏の意外な一面とは。


『あとらす』31号 (定価1,080円)
西田書店 http://www.nishida-shoten.co.jp(電話番号03−3261−4509)

〈東京〉
Book Break ~ 長編小説In the Eyes of the Sonを語る

日時 2月17日(火曜日) 午後6時15分から8時半まで
場所 日本外国特派員協会

カクテルとディナーの後、著者ブリンクマンがこの小説を書いた動機や書き上げるまでのプロセスについて、朗読を交えながら語った。質疑応答では、タイトルの決め方、オランダ語ではなく英語で執筆する理由について、果ては次の作品の構想を聞かせて欲しいという要望まであり、会場は大いに盛り上がった。主催者からは「大成功」と言われ、本の販売も好調だった。


Amazonブリンクマン著作リスト(電子書籍あり)

2月

受賞のお知らせ

タイトル:Volutions
出版社:Savant Books and Publishers(ハワイ州ホノルル市)

ハンス・ブリンクマンの詩2編Love in the Indian OceanとA Lonely Endが掲載されている14人の詩人による36編の詩を集めたアンソロジー詩集が、2015年ロサンゼルスブックフェスティバル、2014年ロンドンブックフェスティバルにて選外佳作賞受賞。


3月

3月31日ホノルル市内にて、「2015年パシフィックリムブックフェスティバル文学賞」が発表され、ハンス・ブリンクマンの長編小説In the Eyes of the Sonが伝記・自伝・回想記部門で選外佳作賞を受賞。Moana Surfriderホテルで行われた授賞式では、ブリンクマンの代理として出版元の社長ダニエル・ヤニック氏に賞状が授与された。


7月

総合文芸誌『あとらす』32号のエッセイ
『銃とカトラリー』(ハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳)

終戦70周年によせて、ブリンクマンが綴ったエッセイ。日本軍戦闘機の部品の一部に使用されていたとある物を手にした途端に、爆撃と飢餓に苦しめられたドイツ占領下のオランダで過ごした少年期、両親のこと、ドイツ兵のことなどが思い出され、さらに終戦直後の神戸で見た悲惨な有様が記憶の彼方からよみがえる。そうした回想の果てにたどり着く真実とは。


『あとらす』32号(定価1,080円)
西田書店 http://www.nishida-shoten.co.jp(電話番号03−3261−4509)

9月/10月

電子書籍(キンドル版)発売のお知らせ

In the Eyes of the Son
(2015年パシフィックリムブックフェスティバル文学賞選外佳作賞受賞)

ブリンクマンの詩Love in the Indian OceanとA Lonely Endが掲載されている14人の詩人による36編の詩を集めたアンソロジー詩集
VOLUTIONS
(2015年ロサンゼルスブックフェスティバル、2014年ロンドンブックフェスティバル選外佳作賞受賞)

〈神戸市須磨〉
The Japan Writers Conference(JWC)
日時 10月24日(土)〜25日(日)
場所 神戸女子大学須磨キャンパス

10月24日(土)と25日(日)の2日間、神戸女子大学須磨キャンパスで、2015年ジャパンライターズコンフェレンス(JWC)が開催されました。

What's in a name? The Importance of choosing the right title for your work
発表者 溝口広美

英語で書かれたブリンクマンの文芸作品の邦訳を手がけてきた溝口広美。題名を訳する時に一番重要なことは、オリジナルに込められたエッセンスを掴み、自然な響きの日本語とすることだ。英語の題名を、そのまま片仮名にすることは、「翻訳」なのか。題名は長い方が良いのか、それとも短いものが好まれるのか。“売れる”題名をつけるコツとは。副題をつけるとどのような効果があるのか。具体的に色々な英語のオリジナルタイトルと、邦訳された題名を比べながら検証する。

Looking for the Maverick in the Crowd - and writing about them
発表者 ハンス・ブリンクマン

実際に出会った人々の中で、特に印象深かった人物についてまとめ、30本ほどのエッセイを書き上げたブリンクマン。そのうちの4編は、溝口広美が邦訳し、綜合文芸誌『あとらす』に掲載されている。

架空の人物を創造するのではなく、興味を惹かれた人の人間的魅力に焦点を当てる文学的手法について語る。松下幸之助、ライシャワー大使、オランダのベアトリス女王といった著名人も含まれているが、知名度は二の次だ。それより、たった一度の出会いで感じたものや、相手の生き方に心を動かされたかどうかということの方が重要だ。おそらく、作者自身が「集団の中にいる変わり者を、つい、探してしまう」性格の持ち主だからだろう。

神戸女子大学須磨キャンパスにて

2014

7月

新刊

タイトル:Volutions
出版社:Savant Books and Publishers(ハワイ州ホノルル市)

14人の詩人による36編の詩を集めたアンソロジー詩集。ハンス・ブリンクマン作Love in the Indian OceanとA Lonely End掲載。
注文はこちら


9月

長編小説In the Eyes of the Son (Savant Books and Publications, Honolulu, Hawaii, USA) ISBN 978-0-9915622-0-6
定価 16ドル95セント

通算6冊目にあたるIn the Eyes of the Son。執筆に長い時間を費やしたこの長編小説の舞台は、戦後のオランダ、植民地時代のシンガポール、「風の街」シカゴ、そして人種対立高まるニューヨーク。それは、1950年代から80年代初頭にかけて、実際に私が暮らした国や場所でもあるため、作品は写実的描写にあふれ、主人公を中心に展開される様々な人間模様が、愛情に濡れ重みに沈む男女の姿も含め、生き生きとした会話やユーモアを織り交ぜながら描かれている。

カメラマンになる夢を抱いていた主人公ピーター・ファン・ドールン。ジャーナリストで第二次世界大戦中は報道写真家でもあった社会派の父親は、息子の夢を後押しし、戦時中に愛用したライカを与えたほどだ。しかし、「事故死の瞬間」をとらえる代わりにピーターが人助けをしてしまった時、父親は息子を「真のカメラマン」として通用するほどタフではない、平時ですら、自分のように「男らしくシャッターをきる」ことができないと判断し、ピーターを国際銀行業のキャリアへ進ませる。

1953年に母国オランダを離れ、シンガポール、そしてシカゴへ赴任し、そこで地元の社交界の花と結婚をするものの、カメラマンの夢を捨てきれないピーター。1978年、彼は安定した職と家族を犠牲にし、ニューヨークでフリーのカメラマンとして生きる決意をする。2年が過ぎ、貯蓄も底をつこうとした時、「ニューヨークの黒人地区にはびこる白人の貧困」を題材とした挑発的な個展を開き好評を得るものの、思いがけない出来事が、写真家として成功しつつあるピーターを巻き込む⋯。はたして、長い間避けてきた頑固な父親と、目と目を合わせて、和解することはできるのか。

In the Eyes of the Sonを購読ご希望の方は、こちらのプレスリリース用サイトをご利用ください。http://www.prlog.org/12354368

総合文芸誌『あとらす』30号の巻頭エッセイ

『皇后のタペストリー 〜 関東大震災前後の日本と不思議なつながりを持っていたポーランド人貴族との邂逅』(ハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳)

1961年にオランダに一時帰国をした時、人智学協会が運営する高級老人ホームの所長を務めるルビエンスキー伯爵と出会った。かつて日本で暮らしていたというルビエンスキー。彼はなぜ日本にやって来たのか。そして、関東大震災を体験した彼のその後の人生とは。


『あとらす』30号 (定価1,080円)
西田書店http://www.nishida-shoten.co.jp(電話番号03−3261−4509)

〈岩手県盛岡市〉
The Japan Writers Conference (JWC)
2014年10月25日~26日

英語を主言語として活躍する詩人、ライター、エディター、翻訳者たちが集まった第8回JWCが岩手大学で開催された。25の発表と活発な議論が交わされた2日間は、成功裡に終わった。

溝口広美は、”Literary Magazines in Japan - How to approach them to propose the publication of a translation of an unpublished essay in English” という題目で、日本の文芸雑誌にブリンクマンの未発表のエッセイの翻訳『皇后のタペストリー』を投稿し、今夏『あとらす』30号に掲載された過程を話した。余談だが、現在ブリンクマンは、さらなる寄稿を依頼されている。


ハンス・ブリンクマンの”Long Gestation - Harmful or helpful to a Novel?”では、出版までに17年あまりの歳月を費やした最新刊の長編小説 In the Eyes of the Son について語った。1997年にオーストラリアで執筆を始め、日本で最後の書き直しをした後、出版社が決定し、さらなる推敲を重ね、ついに2014年7月に刊行された。その過程を振り返ってブリンクマンが達した結論とは、「時間をかけたおかげで、良質の作品を生み出すことができた」というものだ。好意的な書評は、その証拠といえよう。
Amazonに掲載されたカスタマーレビュー
アマゾン米国
アマゾン英国
アマゾン日本

2013

〈東京〉

4月9日(火曜日) ブックブレイク The Tomb in the Kyoto Hills and other stories

東京の有楽町にある日本外国特派員協会が主催するブックブレイク(著者が自著を語るイベント)で、昨年出版した短編小説集“The Tomb in the Kyoto Hills and other stories”を紹介した。2005年の自伝“The Magatama Doodle ”, 2009年の“Showa Japan, the Post-War Golden Age and its Troubled Legacy”に続く、3回目のイベントだ。

夕食のあと、25人ちかくの聴衆を前に、司会のスベンドリニ・カクチさんから紹介された私は、ジャンルを定めずに書く理由について、つまり、フィクション、ノンフィクション、詩、そして当サイトではエッセイを綴っている私が考える「書くことについて」を話した。そのあと、小説の一部を朗読し、最後は参加者からの質問に答えて散会。

〈東京〉

9月25日(水曜日) 『ブリンクマン、自著を語る』

午後7時より東京アメリカンクラブに於いて、The Tomb in the Kyoto Hills and other storiesの朗読と創作について語った。日本を舞台とした短編小説の背景について、多岐に及ぶ創作ジャンル(フィクション、ノンフィクション、伝記、詩)について述べた後の質疑応答は思わぬ方向へ進み、戦中時の体験談を披露すると、「次作はそれだ!」というリクエスト(?)がありました。


〈東京〉

9月28日(土曜日)午後5時-6時半
バイリンガルセミナー『戦後昭和をふりかえる ~ 平成世代へのメッセージにかえて』

株式会社インフォメーショナー主催のバイリンガルセミナーを芝浦アイランドに於いて開催。英語によるブリンクマンのトークを溝口が日本語でパラフレーズし、トークの後は参加者からの質問に答えた。20代30代の参加者からは英語の勉強法、海外生活、就職をめぐる質問、さらには興味深い意見が寄せられた。

〈沖縄〉

The Japan Writers Conference (JWC)

2013年11月2日から3日


ハンスの発表

参加者たちとの集い

第7回目のThe Japan Writers Conferenceは、沖縄キリスト教学院大学で開催された。様々なジャンルで執筆活動を行っているライターたちが集まり、技法や出版の方法や形態について意見交換を交わした。

総勢35名のライターたちにより、2日間で30本の発表が英語で行なわれた。発表者の多くは主に日本を拠点に活動しているわけだが、海外からの参加者もいた。

溝口広美は'The delights and pains of translating poetry - English to Japanese'と題し、ハンス・ブリンクマン詩集『終わらない一日』の邦訳の難しさについて語った。一方、'First person or Third in writing fiction'ではハンス・ブリンクマンが、小説を書く時に直面する一人称と三人称の選択について語った。

夜は参加者たちと那覇市内のタパスレストランで楽しいひとときを過ごした。

本大会の成功は主催者ジョン・グリブル氏の手腕によるものと言えよう。

The Japan Writers Conference

〈沖縄〉

The Japan Writers Conference

2013年11月2~3日

トム・ベーカー氏が収録した参加者たちの感想をご覧ください。ハブリチームも登場しています。JWC2013

2012

〈ニューヨーク〉

Lecture, in English, by Hans Brinckmann for members of the Dutch Financial Club

Title: "A country in turmoil: the rise of popular cynicism and uncertainty in traditionally stable and still prosperous Japan"

日時 10月17日(水)正午
場所 Netherland Club, 3 West 51st Street, New York, NY
参加費 65ドル

正午から12時30分 参加者とブリンクマン(スピーカー)カクテルタイム
12時30分 昼食
午後1時 レクチャーおよび質疑応答
午後2時 散会

〈福岡〉

Bookuoka(ブックオカ)のトークイベント

絆から変革へ - オランダ人著述家ハンス・ブリンクマンが考える未来の日本に必要なもの
(使用言語は英語、邦訳付)

日時 11月8日(木)午後7時から
場所 カフェ&ギャラリー・キューブリック(ブックスキューブリッック箱崎店)
参加費 1500円(ワンドリンク付)
※要予約 Tel: 092 645 0630 Fax: 092 645 0631
Email: hakozaki@bookskubrick.jp

「絆」は2011年を表す漢字だったが、そのおかげで不透明にされた最たるものが責任の所在。

絆は大切だが、それは解決策ではない。福島原発事故を検証する過程で露呈した数々の無責任さに対する有権者の怒りは反原発運動を引き起こし、他方で「日本に必要なものは独裁」と発言する政治家が台頭しつつある。

今の日本に必要なものは復興や代替エネルギーと、世界およびアジアにおける日本の影響力を視野に入れた明確な政策。有権者が政治的参加を続けなければ、民主主義は成熟しない。

日蘭の歴史的交流を紹介するスライドショーや、自作の詩の朗読を織り交ぜながら、ブリンクマンが「こうあってほしい」と望む日本の未来像を語る。

〈東京〉


ブリンクマン、自著The Tomb in the Kyoto Hillsを語る

日時 11月18日(日)午後6時30分から
場所 Good Day Books (品川区西五反田2−4−2)

The Tomb in the Kyoto Hillsについては「ブリンクマンの著作集」をご覧ください。

オランダのラジオ局VPROで2月24日(金曜日)に放送された、ブリンクマンのインタビュー(オランダ語)および「動物の悲しみ」の朗読(英語:ブリンクマン/日本語:溝口)


2012年2月16日収録、24日放送(当初は17日放送の予定だったが、オランダ人ジャーナリスト兼執筆家のAnil Ramdasの突然の訃報により急遽追悼番組に変更)

聞き手 マーティン・ウェステヴェイン

ウェステヴェイン(以下「ウェ」):まず、お誕生日おめでとうございます。

ブリンクマン(以下「ブ」):ああ、ありがとうございます。

ウェ:すっかり忘れるところでした。さて、詩の朗読ということでペルデュ(詩集専門店)に招かれているそうですね。言うまでもなく、あなたは詩だけではなく、いろいろな作品を執筆しているわけですが、このたびは詩を朗読することとなりました。どのような経緯で?つまり、日本に住んでいらっしゃるのに⋯

ブ:ええ、日本に住んでいます。オランダにも住んでいました。子どもの時、つまり18歳まで。その後2回ほど、それぞれ2、3年の間オランダで暮らしました。それ以外はずっと外国暮らしをしてきました。だからオランダとのつながりはそれほど強くはないのですが、ここには友人がいます。20年ほど前にシャーロット・ムツァーズ(オランダ人作家)と共にトークイベントのようなものに参加した時に、ペルデュのことを知りました。詩人や哲学者なども加わり、その時のことはよく覚えています。だから詩集を出版した時、ペルデュなら興味を示すのではないかと思ったわけです。そこで昨夏アムステルダムに滞在した際、ペルデュに立寄りました。翻訳者の広美と⋯

ウェ:あなたのお隣に座っていますね。

ブ:そうです。そしてその時、本屋のスタッフに詩集のことをはなし、彼らが興味をしめしてくれたわけです。オランダ語ではなく、英語と日本語の詩集にね。ただちに店内で詩集を販売してくれることになりました。それから数日後、また店に立ち寄り、マネージャーとも話をしました。詩の朗読を行うというアイデアを気に入った彼と、朗読会を開催することで話がまとまり、日本に戻りました。その後は、メールで打ち合わせを進めました。

ウェ:それではひとつ、お聞かせください。ペルデュがあなたを招いた理由を知るためにもね。

ブ:いいですよ。ただしご存知のように、私の詩はすべて英語で書かれています。「動物の悲しみ」を読みましょう。

[朗読]

ウェ:後ほど、なぜ英語で詩を書くことを選んだのかについてお聞きします。その前に、先程も述べましたように、溝口広美さん - 正しく発音できていればいいのですが - にもお越しいただいております。日本語で朗読してくださるということでありがたいです。では、お願いいたします。

溝口(以下「ミ」):喜んで。

[朗読]

ウェ:ありがとうございます。さて、日本語のリズムはまったく違うもので、広美さんの朗読中にブリンクマンさんは英語を目で追っていましたね。日本語の翻訳を聞く時なにか違うものが聞こえてきますか。

ブ:はい、ある意味で両者は違うものです。ただしオリジナルのイメージは明瞭にわいてきます。広美さんの翻訳手法のおかげです。詩も - 詩はもちろん、散文も含めた私の文章の翻訳は直訳ではなく、雰囲気の再構築です。私は彼女のものは翻訳ではなく、彼女のバージョンと呼ぶわけです。広美バージョンによる私の詩も、非常によく出来ています。

ウェ:あなたの書くものは日本の伝統の系譜に位置づけされていますか?それとも偶然日本に住み、日本語で書いている欧米人として扱われていますか。

ブ:後者でしょう。そもそも私は日本語では書きません。日本語でレクチャーを行うことはしばしばあります。それに、概して、私の書くものは日本的というより非日本的でしょう。あるいは、英国的とかオランダ的性質を有しているというわけでもない。とにかく、日本的なものはありません。おそらく、むしろ「コスモポリタン」なものといえるでしょう。数カ国の国々で暮らしたから、それぞれの場所を思い起こさせるなにかが含まれている⋯広美に聞いてみたらいかがですか。

ウェ:ハンスが答えられなかった、あるいは、答えたくなかった質問とは、彼の書くものが - ここでは限定的に詩としましょう - 日本の伝統にそったもののように思えますか、それとも、西洋的なもの、つまり西洋風な見方をする作家の書くもののように思えますか。

ミ:彼の書くものを「~風」と呼ぶことはできません。詩も、その他の作品もあらゆる要素が混ざり合ったもので、だから、訳者の私は常に刺激されています。

ウェ:彼の書くものに日本の影響はありますか。

ミ:つまり、文体ですか。

ウェ:それは訳者のあなたに委ねます。実際に翻訳をしてきたあなたにね。彼の書くものに日本的な要素が突如わいてくると感じますか。つまり、日本に住んでいなかったら彼はこのようには書かなかっただろう、こんなものに気を取られるはずはなかろう。

ミ:強いて言うなら⋯

ウェ:そうです、おっしゃってください⋯

ミ:彼は非常に鋭利な観察眼を備えているのですが、書くものは時として品があり優しい。硬質でありながら柔らかい。ギャロップするかと思うと、静かに歩いているようで、大変興味深いほどユニークな組み合わせです。彼には独自のリズムがあります。

ブ:ああ、そうとは知りませんでした!

ウェ:初めて聞かされましたか。

ブ:はい。

ウェ:なるほど⋯ギャロップする西洋の硬質性が、優しくゆるやかな日本の歩みと出会うわけですか。

ブ:今、初めて彼女から聞かされました。ここアムステルダムで聞かされて光栄です。

ウェ:もしかしたら、日本の外にいるからこそ、わかるのかもしれません。

ブ:そうかもしれません。“今日は、こういう言葉、初めて聞いてます。初耳です。”

ウェ:日本語で言ったのですか。

ブ:はい、私が述べたことを訳しました。

ウェ:今度の日曜日に(詩の)朗読を行いますね。

ブ:ええ。

ウェ:どのような反応を期待していますか。何を伝えたいですか。あなたの詩のどういった点を聴衆に読み取ってもらいたいですか。

ブ:私の詩で最も重要な要素は、わたしが他者をどのように観察するのか、他者の行為や心理的変化に表れる予期せぬなにかを、いかにとらえるかということです。人生のさまざまな様相に驚嘆せずにいられません。道を歩く4歳か5歳ぐらいの幼い子どもが、まるで独立した、一見識をもつ大人のように振る舞っている姿には感心します。そうした思いを表現したいのです。人生の、生きていることの素晴らしさに気づくこと、それが私の詩の根底に流れているものです。私の詩は主にそうした情感から編み出されたものです。おそらく一般論に聞こえるでしょうし、なにも具体的なことではないでしょうが、これ以上上手に説明できません。つまり、詩とは、散文やフィクションとは異なるもの。私は詩をノンフィクションとフィクションの架け橋としてとらえます。詩は自ずと表現します。道ばたやフェンスの下に咲いている野の花と似ています。フェンスの向こう側には、計画的に作付けされた広大な田畑が広がっており、それは、ノンフィクションやフィクションと例えることができましょう。一方、詩はフェンスの下のそこここに生えている小さな花々で、誰が植えたわけでもないのに、花首をもたげている。感心します、心動かされます、だから書くのです。

ウェ:アリガトウ

ブ:どういたしまして。

ハンス・ブリンクマン詩集『終わらない一日』の朗読会


<ロンドン>

朗読 ハンス・ブリンクマン(英語)溝口広美(日本語)

日時 2月14日(火曜日) 午後2時から4時
場所 大和日英基金

Listen to this Special eventをクリック(所要時間は約1時間): [Link 1]


<アムステルダム>

朗読 ハンス・ブリンクマン(英語)溝口広美(日本語)、およびスライドショーとディスカッション

日時 2月19日(日曜日) 午後3時から5時30分
場所 詩の専門店"ペルデュ"

オランダのラジオ局VPROで2月24日(金曜日)に放送された、ブリンクマンのインタビュー(オランダ語)および「動物の悲しみ」の朗読(英語(ブリンクマン)/日本語(溝口)


2011


ヨース先生、ブリンクマン、五百蔵先生

ハンスブリンクマンと溝口広美

<高知>
詩の朗読

日時 10月21日(金曜日) 午前10時30分から12時
場所 高知県立大学 永国寺キャンパス

文化学部の五百蔵(いおろい)教授のゼミで、詩集『終わらない一日』に収録されている詩を英語(ブリンクマン)と日本語(溝口)で朗読し、学生たちと議論や意見交換を行った。

社会人学生も含む学生と、教官あわせて20人あまりが集まった。自己紹介として外国語との出会いや詩の創作などについて簡単に話をしたあと、詩を朗読。

詩は読むより、朗読を聞くほうがはるかにいいと述べた学生がいた。また『動物の悲しみ』に共感したという女子学生も二人ほどいた。『最終列車』を気に入った学生は「列車の雰囲気が暗いので、乗りたいとは思わない」と話してくれた。言語構造や文化がはるかに違う言葉の間で、いかにして、“納得のいく”詩の翻訳は可能かという質問もあった。直訳は詩を殺してしまうので、むしろ翻訳言語で原文に近いメタファーを構築することが望ましいというのが、私の考えである。溝口さんもこの方法を実践した。だから、今回の詩集の日本語は対訳というより“溝口広美バージョン”の詩と言ってもよいだろう。

ゼミ終了後、五百蔵教授から「学生が普段より積極的に意見を述べていた」と聞かされた。

日本学プログラム講演シリーズ第7号
『戦後昭和をふりかえる - 平成世代へのメッセージにかえて』

日時 10月21日(金曜日) 午後6時30分から8時
場所 高知県立大学 永国寺キャンパス 管理棟 2階会議室
担当 文化学部 ジョエル・ヨース准教授

拙著『あるオランダ人の「昭和ジャパン」論』におけるテーマのひとつが、昭和 - 特に私が初めて日本にやって来た昭和25年あたり - と平成の違いについてである。個人的な体験や印象にもとづいた具体的な話を、当時撮影した白黒写真を見せながら、語って欲しいと依頼された。

主にヨース准教授が所属する文化学部の学生を対象とする講演ということで、もっと積極的に行動し、インターナショナルな視野を培うことの大切さを述べることにした。なぜなら、最近の日本の若者たちは内向き志向で、海外留学や海外駐在に消極的だと言われているからだ。

話を終えたところで、興味深い質問や意見が寄せられたので簡単にまとめてみたい。

「日本の伝統的な“謙譲の精神”が国際ビジネスや外交分野において、不利に働くのではないか」(女性)

人間として慎みは忘れてはならないし、礼儀は大切であるが、国際社会において他者に譲ってばかりでは無視されかねない。国内政治においても、例えば、野党があまりにも慎み深くては、独裁政権を招くこともありえる。個々人のレベルでも、思うことがあるのなら遠慮せず自分の意見を述べなくてはならない。

「日本の戦争責任について」(男性)

日本の教科書のなかには、自国の戦争の歴史を省略するものもあるが、日本人は自らの戦争の歴史を教わるべきだ、という意見を述べる聴衆もいた。私は個人的な答えとして、こう述べた。20世紀も含めた世界と日本の歴史は戦争の歴史であることを子どもに教えなくてはならないし、過去を知ることは大切だ。しかし、過去に起こった残虐や暴力ばかりに焦点をあて、人間の進歩や啓蒙的な側面を無視することは避けるべきである。つまり、過去の過ちは過去のものとして切り離し、それに対する負い目を若い世代が個人的に感じることのないように、歴史を教えることが重要。

「日本政府が保有しているアメリカ国債は安全なのか」(男性)

専門的な質問だったので、一般論を述べるしかなかった。「アメリカの財政が危機的状況であるのと同様、日本の長期債務もGDP比の倍に近く、先進7カ国中最悪だ。新しい財源を確保し、無駄遣いをしないことが必要だろう。」

6月5日(日曜日)午後2時から4時半

東日本大震災チャリティー公演 「詩の朗読とチェンバロ音楽」
会場:スペース1F (東京都板橋区中丸町10-1 古楽研究会ビル1階)
主催:テレサ音楽事務所
構成:【前半】 『終わらない一日~ハンス・ブリンクマン詩集』から9篇の詩をハンス・ブリンクマン(英語)と溝口広美(日本語)が朗読。
【後半】 家喜美子チェンバロ演奏会(ヤン・ピータースゾーン・スェーリンクとバッハとジャン・フィリップ・ラモーの作品から)
使用楽器: M.スコヴロネック(1963年)作 ドゥルケンモデル(1745)


“人生観照”
ハンス・ブリンクマン作

「文学にはさまざまなジャンルがあります。小説や随筆などのフィクション。その文体は力強いものあり、そっとなでるような滑らかなものあり、いろいろです。ノンフィクションは報道文、分析、冷静な観察記録、あるいは熱意を込めた論説などをあげることができます。

ところで、詩の目的はなんでしょう。それは聞き手をうっとりとさせること、韻を踏み、リズムを整え、ある種の美を与えることではないでしょうか。かならずしも意味が通じるとはかぎりません。詩のインスピレーションは突如わいてくるものです。道ばたやフェンスの下や畑に生えている野の花のようなもの。

詩とは、感受性と理性の溝を埋める働きをします。体制にしたがうのでもなく、情報を伝えるのでもなく、隠されているものに言葉を与えてくれるのです。人生を描写するのではなく、生きていることを表現するのです。

ただし、これはあくまでも私自身の詩を弁解しているにすぎません。意味は通じていると思いますが、すべての詩がというわけではないのです。自分でもわからない詩もあります。

本日は詩集『終わらない一日』に収録されている詩をいくつか朗読します。それぞれの詩のあとに日本語訳が続きます。詩の翻訳は、ご存知のように、非常に難しいです。翻訳というより、溝口広美バージョンということでお聞きください。

3つのテーマごとに3つの詩を読み進んで行きます。テーマは、まず、人生観照 ー 人生のありさまを客観的に見つめるという意味ですね、次に、諧謔つまりユーモア、最後は情愛、愛がテーマです。」 [ハンス・ブリンクマンの挨拶より抜粋]

終わらない一日~ハンス・ブリンクマン詩集』(ハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳)

ボルサリーノをかぶって『ぐうたら椅子』を朗読するブリンクマン(右の写真)

チャリティ公演 [pdf]

2010

3月15日(月曜日)午後2時から4時

講演会「スライドショーで比較する戦後昭和(昭和26年―49年)と平成の日本の姿」
場所:国際文化会館
主催:Japan America Women's Club

55人ちかくの聴衆を前に、ブリンクマンが自著『Showa Japan』について語りました。その後の書籍販売会では『Showa Japan』が完売、大盛況のうちに講演会を終えました。

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3月24日(水曜日)午後5時から8時

講演会「これからの日本とオランダ ~ 歴史をこえて互いに学ぶ」
場所:富士フイルム株式会社本社2階
主催:日蘭協会

日本人とオランダ人あわせて35人ほどが集まりました。21世紀にオランダが日本から学ぶべきこと、あるいは日本がオランダから学ぶことを具体的に話しました。その後の懇親会では、参加者から貴重なご意見ご感想をいただきました。

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3月30日(火曜日)午後4時から

講座「戦後日本と現在の日本を比較する」
場所:ベルギーのアントワープにあるKasteel van Schoten (Schoten城)
主催:Academic Circle, Antwerp, Belgium

ブリンクマン氏の高校時代の同級生であり、親友でもあるアントワープ大学名誉教授アルバート・モック氏が所属するアカデミックサークルの会員20名を対象にしたもの。モック氏がブリンクマン氏へ質問するという形式で進められた。昭和と平成の日本を紹介したスライドショーも好評だった。

2009

11月30日

10月31日からひょうご国際プラザ交流ギャラリーで開催されていた「あるオランダ人が見た昭和の日々」写真展が無事終了しました。兵庫県内だけではなく県外からも多くの方が足を運んでくださいました。ありがとうございました。


11月26日 ロンドンで自著を語る

大和日英基金主催の講演会を行いました。大和日英基金の会員60名ほどが集まりました。ブリンクマンとロッへの昭和の写真コレクションもスライドショー形式で紹介しました。

大和日英基金のウェブページ http://www.dajf.org.uk/index_j.asp


11月17日 英語で語る「今振り返る「昭和ジャパン」論 ~ 在日四半世紀 あるオランダ人の視点 ~」

その後、参加者からさまざまな質問が寄せられました。終身雇用と経済成長が保証され、家族の絆や地域社会のつながりがしっかりとしていた戦後の日本にくらべ、現在の日本をどう見るか。やはり、昔が良かったと感じるか。日本が国際社会で貢献できることはなにか。こうした問いに対するブリンクマンの答えを知りたい方は、是非『あるオランダ人の「昭和ジャパン」論』をお読みください!

10月31日 ひょうご国際プラザ3階交流ホールにて

『あるオランダ人が見た昭和の日々』写真展開催にちなみ、ブリンクマンの講演会が行われた。「不確かな時代としての平成から見た確かな昭和」というテーマにそって、昭和と平成の日本比較論を展開し、随時、溝口広美の朗読による『あるオランダ人の「昭和ジャパン」論』(ランダムハウス講談社)からの引用や、スライドショーも交え、講演は約1時間におよんだ。よほど興味深い内容だったのだろう、その後、参加者から活発な質問が次々と寄せられ会場は大いに盛り上がった。昭和25年11月に初めて日本にやってきたブリンクマンが最初に暮らした町が神戸だった。今回のスライドショーでは、当時の彼が神戸とその周辺地域で撮影した写真をまとめたものを一挙上映した。

10月1日午後7時~ ブリンクマン自著を語る 東京アメリカンクラブにて


撮影:溝口広美

40人ほどの聴衆が6時半ころから会場へ集いはじめ、それぞれワインやジュー スを片手にブリンクマンの話に聞き入りました。ブリンクマンが撮影した昭和20~40年代の写真をスライドショーで紹介すると、その美しさに会場からは歓声があがり、写真を購入したいという人もいたほどです。最後は、著作を買い求めた人たちへブリンクマンがサインをし、2時間余りのイベントは無事終了しました。

撮影:井出友樹

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