変容する社会8:ビジネスマンと役人という奇妙な組み合わせ

自由市場の勢いの増す一方で、行政当局が抱く妄想に近い不信感はますます強まるという現状を実感するのはわたし一人だけではなかろう。

わたしの体験:成田空港にて

東京をロンドンやニューヨーク並みに世界の金融センターにしようという行政か らの提案がある。そうすれば日本の地位も上がるし、中国の勢いが日本の製造業 の存続を危うくしているなかで新しい雇用のチャンスも生まれるかもしれない。非常に有能な外国の金融ディーラーやマネージャーを引き寄せるため、最新の設 備を整えたマンションやインターナショナルスクールが必要になるだろう。別の 行政部門からは日本を観光立国にしようという提案がだされた。

どちらも志は高いものの、これが一体どうやって2007年11月20日から実施された新しい入国審査と両立できるのか。日本に入国する外国人は指紋と顔写 真の提供を義務づけられる。旅行者や短期滞在者だけではなく永住権や再入国許可を持つ外国人に対しても同じ審査が行なわれる。この法案は日本に暮らす外国人コミュニティーからの意見も聞かず、国会でも議論されることなく可決されて しまったようだ。すくなくとも、半分日本人のようになり、日本人からもそのようだと言われてきたわたしにはそう感じる。

羽田空港
オランダのベアトリクス王女羽田空港に到着 昭和38年

セキュリティーにことさら敏感になっているアメリカもここまで極端ではない。 いまのところグリーンカード(永住・就労許可証)所持者は指紋と顔写真の提供 は免除されている。日本に長く定住している外国人が憤慨するのも一理ある。3 0年ちかく日本で真面目に暮らしてきたわたしでさえ、外国人はすべて差別する ような入国審査に対しては苛立ちを感じた。(成田空港では再入国の許可を得た 外国人を対象にしたゲートを別に設けたという。これでおそらく入国審査の手間 が軽減されるにちがいないが、外国人を差別的に扱う考え方に変わりはないとい えよう。)

日本に来てもらいたいと思う外国人に対し厳しい(再)入国審査の壁をめぐらし 、その一方で東京を世界の金融センターにしたいと望んでいるのなら、日本政府は夢を見ているにすぎないのではないだろうか。

わたしの体験:ヒースロー空港にて

ロンドンのヒースロー空港でも、かみ合わない政策の成れの果てを体験した。

厳しいセキュリティーチェックが人手不足とずさんな空港管理体制と組み合わさ るとターミナル内には無秩序さが増すのみだ。12月半ばにロンドンから日本へ やってきたが、今もってあの混沌たる有り様が信じられない。チェックインカウ ンターは大混雑。長蛇の列の合間をぬって航空会社のスタッフに質問をしても返 ってくる答えは人によってまちまち。でもこれは序の口だった。搭乗する前に果 てしなく時間のかかる手荷物検査、金属感知器によるスキャン、靴のX線検査をこ なしていかなければならない。もちろんわれわれの安全のためではあるのだが、 なぜ一時間ちかくもかかるのか。ゆっくりとしか進まない行列に並ぶ乗客のムー ドは苛立ちを隠せず、なにやら一触即発といった感がした。疲労はつのるし、車椅子の乗客を優先する手配もかろうじて可能といったところだった。薄暗く雑然 とした空港内にいる自分がなんとなく旅行という罪深き行為を犯したように思え、すべての苦痛は償いの証といった感すらする。

靴をベルトコンベアから取り戻し、すりきれた椅子に腰かけて靴を履いた途端、 消費天国の黄金の輝きを真っ向から受けた。白熱灯に照らされた笑みを浮かべた セールスマンとゴージャスな女性たちが乗客たちを待ち構え、香水や洋酒のサン プルをふるまう。彼女たちの背後には、最新のファッションに身を包んだ魅力的 なモデルたちがスクリーンに映しだされている。これは苦しみとひきかえに与え られた、自由市場からの聖なるメッセージなのだ。免税で買い物ができるという特権。われわれを煉獄に突き落とした政府が数分間の間与える解放なのだ。

「もう絶対にこんな思いはしたくないわ!絶対に!」あちこちに散らばった手荷物をまとめながら、憔悴しきった年配の女性がこう嘆いていた。

旅行とはこのようなものではないはずだ。飛行機の旅行がロマンチックな冒険の ようだった時代は終わったのかもしれないが、忍耐を試すようなものであってよ いのだろうか。旅行者の権利と快適な空の旅は誰が保証するのか。旅行者にとっ てよりよい環境を提供するために航空会社はもっと意見を述べることはできない のか。旅行者を歓迎する一方で疫病にかかった動物のように隔離するような齟齬 をきたす入国審査を避けるために、各省庁が協力しあってより有効な方策をだし あう日はくるのだろうか。

消費者よ団結せよ!

20年以上も前の話になる。まだわたしが銀行に勤めていた頃、頭取が「ビジネ スには社会的良心などない」と言い放った。また、1970年代頃から大企業で 働く従業員のことを「人材」と呼びはじめた。息もせず考えもしないモノのよう に人間を扱っているようだ、と感じたことを覚えている。

こうしたことからもわかるように企業は「人間として」の消費者の要求などには 耳を傾けようとはしないのだ(たとえ「顧客」と呼んでいようとも)。しかし、 官僚主導のほうがよりよいサービスが得られるにちがいないとも言えまい。なん の保護もなく冷徹な自由市場の原理のもとでは多くの消費者(とくに経済的弱者 たち)は置き去りにされるに違いない。「変容する社会5」でも述べたように、 自由市場を席巻する「株主の利益」とは消費者からすればかみ合わない話なので ある。

だからこそ消費者たちはこうした不平等を意識し、しかるべき行動を起こさなく てはならないのだ。日本にもそうした消費者団体がある。彼らが消費者たちを不 当な扱いから救ってくれるのだ。

(平成19年12月28日 原文は英語。溝口広美訳)


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