変容する社会5:なぜイギリスの電車は、日本の電車のように時間どおりに運行しないのだろうか

「マーケットエコノミー」が世界規模となり、われわれ消費者は少なくともふたつの大きな報いをこうむることとなった。民営化の波と株主の影響力だ。日本とイ ギリスにおける具体的な例を取り上げながら、この問題について簡単に述べてみ たい。

民営化とはどういうことか?

水道/ガス/電力などの公益事業、郵便・通信サービス、鉄道や道路など、つまり主要な公共サービスが、赤字(時には有能な人材不足)に悩む政府によって民 間 へ売却されることだ。民間の企業はサービスを供給するだけではなく、多くの場 合価格や方針を自由経済市場の原理にもとづいて決定する。イギリスはアメリカ 型 モデルに追随し、最近では刑務所の民営化を求める動きまであらわれてきた。

民営化が決まると、われわれは必ずこう言い聞かされる − これはいいことな のだ。税金負担が軽くなるし、よりよいサービスが得られる。さらに民営化は複 数 の買い手が生じるゆえ、多くの選択肢とコストダウンの恩恵をこうむるからだ。

はたして本当にそうなのか?

 民営化はいいことか?

イギリスの水道、ガス、電力などは価格競争のおかげで割安になったかもしれな い。刑務所を民営化することでどのような結果となるのかはわからない。しかし 、 郵便サービスは他のヨーロッパ諸国同様、サービスの低下が著しい。郵便局やポ ストの数が減り、郵便物の回収の回数も少なくなる一方で、値段は急激に上がっ て いる。

イギリスの公共交通機関の民営化は最悪の状況となっている。鉄道もロンドンの 地下鉄もサービスの低下は著しいのに、運賃は急上昇、駅は清潔どころか汚く、 は るかに無秩序。機械の故障、キャンセル、何時間にわたるダイヤの遅れが日常茶 飯事に起きている。ダイヤの乱れや事故が生じると、操縦側は常習的に鉄道のメ ン テナンスの不備を責めるわけだが、その鉄道自体は別の民間企業にまかされてい る。利用者の悲劇をさらに確実なものとするのが、労働組合の存在だ。要求がの ま れないと、ただちにストライキをする。あるいは最近のロンドンの地下鉄の組合 交渉のように、要求が受理されてもストライキをする。

通信サービスにおいてはさらに複雑な様相を呈している。イギリスも日本も、プ ロバイダーの数が増加するにつれて価格は下がっている。しかし平均的な利用者 に とってプロバイダーやサービスのパッケージの選択肢が増えることは困惑でしか ない。それに新しい顧客を獲得するために提供される低価格のサービスはキャン ペ ーン期間がおわると他のプロバイダーとたいした格差はないのが常だ。

根本的な問題は、企業の求める目標が利益を最大限に獲得する一方で、消費者が 求めるものはなによりも信頼できるサービスにある点だろう。そもそもお互いに か み合わない話なのだ。とくに消費者が底値で最高の品質を期待するとなるとなお さらだ。イギリスの鉄道などは、運賃値上げをしておきながらまともなサービス す ら提供をしない。

 ステークホルダーと株主の対立

「利用者のためのサービスだ」という態度と考慮が明らかに欠けている。現在も てはやされているアメリカ・イギリス型の資本主義モデルでは、株主(そしてト ッ プエグゼクティブ)の利益がすべてで、消費者や社員の正当な利益は後回しだ。 企業買収の戦いやどん欲な利益追求にはしる株主たちの動きなどがしょっちゅう メ ディアをにぎわせている。そうした動きに乗じて、主にヘッジファンドや投資信託ファンドによってもたらされる株主への資本利得は莫大なものだ。このような利益のおかげでファンドマネージャーたちがまさに天文学的な収入を得ている。2007年8月30日付けのインターナショナルヘラルドトリビューンは、アメリ カ の上位20位をしめるファンドマネージャーの昨年の年収が平均6億5千7百5万ドルだったと報じている。時給にして21万7百ドルだ。つまり時給約2千5百万円。もちろん課税前の話であろう。

1980年代、アメリカやヨーロッパにおいて「ステークホルダー(stakeholder)」という概念が社会問題に敏感な一部の人々によって推進された の も当然の帰結といえよう。企業の健全な経営に関心のある人や団体ならだれでも ステークホルダーになりえる。消費者、仕入先、得意先、従業員、経営者のみな ら ず株主もしかり。社会に対する責任感をもった企業ならステークホルダーたちの ことを念頭に、企業の方針を決定するべきなのだ。あいにくこうした公平な経営 姿 勢は、片意地な資本家にはまったく理解されないようである。

 日本のやりかた
看板を読む人々

またか…
どの地下鉄路線が閉鎖されたのかを確認する乗客

このように買収だけが目的の欧米の資本主義経済とくらべ、日本のビジネスはど うだろうか。日本では電車は時刻表どおりに運行するし、昔からそうだった。阪急や京急、東武や西武などの民間会社が鉄道経営をしていても、電車はきちんと運行してきたし、今でもそうだ。車内は清潔だし、駅の施設は完備されており、運賃も妥当だ。1987年に民営化され分割された日本国営鉄道でさえ、サービスの質はけっして落ちていない(ただし過疎地区の現状はよくわからないが)。イギ リ スだけではなく他の国でもよく聞かれる失敗が、なぜ日本ではうまくいっているのだろうか。

まず考えられるのは、日本の鉄道会社をはじめ他のセクターでも、ステークホルダーの原理をなによりも考慮している点で、これは日本では長いこと尊ばれてき た といえよう。戦後の昭和のころ言われたのは日本の企業における基本理念とは「和を保つこと」だった。会社内でも社会でもこれはかわらぬ理念だった。1950年代に起きた戦闘的な組合活動をへて日本人経営者は、社員を敵とみなさず家族の一員として面倒をみることで対立やストライキを避けるほうが得策だ、という貴重な結論にいたった。

贈り物をあげたり、挨拶をしたり、フォーマルな敬意を示す行為をとおして人間 関係を円滑に保つことが日本の文化であり、その延長に「お客様は神様」という 考 え方が浸透したのかもしれない、とも推測できる。また、利用者側も公共の施設 や交通機関を利用するとき、それなりの常識をもって利用する。ゴミを捨てない 。 トイレを清潔に使う。落書きをしない。

また、日本のエンジニアや社員たちは職業意識も高くよく教育されている。テク ノロジー技術やインフラはしょっちゅう改善されているので、日本の電車はいつ 利 用しても真新しく、時間どおりに運行しているのも驚くなかれ、といえるだろう。

こうしたシステムは「株主の利益」を追求する企業からの買収にさらされないか ぎり、問題なく機能するにちがいない。株主の関心は大幅なコストカットであり 、 その結果もたらされるのは労働意識の低下と質の低下といえよう。グローバーラ イゼーションが進み、日本の企業にも伝統的な「調和モデル」のビジネス慣習を ゆ るがす波が押し寄せてくるにちがいない。

日本の公共交通機関やほかの公共サービスがそうした有害な媒体のえじきになら ないよう、どうにか抵抗する手段をみつけてほしいものだ。それには高い職業倫理を保ちつつ、不健全な経営者を退けるしかないだろう。現在の質の高い公共サー ビスを守るためにはあらゆる努力を払うべきだと思うし、それだけの価値はある 。 日本のように複雑な社会を円滑に機能させるために、そうしたサービスは非常に重要だからだ。

(平成19年9月18日 溝口広美訳)


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