変容する社会4:失われてしまった昭和の価値とは何か?

本エッセイはハンス・ブリンクマン著/溝口広美訳『あるオランダ人の「昭和ジャパン」論』(ランダムハウス講談社)からの抜粋である。小見出しのあとに続く数字は引用ページを表している。

高度経済成長以来、日本にはさまざまな変化が起った。

昭和の風景 (39ページ)

昭和30年代あたりはまだ、川にはダムなどなく自然のままの川岸があり、人間の手のはいらない山の景色には道路、トンネル、コンクリートの壁など皆無だった。落葉樹の森林たちが伐採され、そこにスギ科の木だけが植樹されることはまだなかった(スギの植樹のせいで野生の動植物は絶滅し、日本列島に暮らす人間たちは花粉症で苦しむことになった)。蠅、蚊、ブヨはたくさんいたし、そうした虫をエサにする鳥やコウモリもよく見かけた。田舎に行くと、ほとんどの道は鋪装されておらず、道沿いに建つ家の壁は埃で真っ白だったのを覚えている。規模の小さな町や村には昔ながらの様子がうかがえた。

インフラストラクチャーや人々の暮らしの一部は改善された一方で、その代償も払わなければならない。破壊された環境を取り戻すことはできないが、自然林をよみがえらそうという動きもあるようだ。

街の様子 (50〜51ページ)

昔の街並みは雑然とし、道路も狭かった。周りにあるのは隣近所の家々ぐらいで、いわゆる「エンターテイメント」も「コンビニ」もなかった。ところが変化の兆しがあらわれた。戦前の雰囲気を残す立派な建物が次から次へと取り壊され、高層の建物にとってかわった。東京オリンピックの遺産のひとつが高架道路のネットワークだ。道路の下には永久に日があたらない。それなのに日本橋の真上に高架道路を建設したのだ。日本橋といえば、かつては五街道の起点だった。歴史的にも重要な、東京のヘソのようなものだ。その真上に高架道路を建設するのは、まるでロンドンのハイドパークコーナーやパリのノートルダム寺院の上に道路を建設するようなものだ。

それでも都市の住人たちはそのような街の変化を冷静に受け止め、失われたものに対し嘆くことはないだろう。保存を望む感傷的な声は、最新のデザインやテクノロジーに太刀打ちできないようだ。そのおかげで快適で機能的な恩恵をこうむるからだ。曲がった路地や冷えきった古い教会をどうしても見たいなら、いつでも飛行機に乗ってヨーロッパへ行けるではないか。

昭和といえばサラリーマン (54〜58ページ)

欧米の会社員は職をよく変えるし、昇給や出世は主に能力で決まる。一方、昭和のシンボルともいえる日本のサラリーマンは高校もしくは大学卒業と同時に会社に就職し、雇用主は生涯変わることはなかった。忠誠心とひきかえに自分の時間を会社へ捧げ、休日なしで働いた。夜も週末も、宴会に社員旅行にゴルフコンペに出かけ、その奉公のおかげで昇進と終身雇用が約束された。

日本が海外からの競争相手に対し自国の市場を荒らされないように保護している間は、こうしたサラリーマン制度は非常によく機能した。ただし、夫や父の顔をたまにしか見る事ができない家族にとっては、容易ではなかったろう。

平成になってから企業ではリストラがはじまり、全ては変った。エスカレーター式の出世はもうありえない。出世も昇給も解雇通達も能力で決定されるようになったからだ。昨今は外国企業が多くの日本企業を買収している。「グローバライゼーション」」の脅威と明るい展望は人々の関心の的だ。バブル前の昭和的サラリーマン像を懐かしむのもうなずける。

サラリーマンのおかげで日本が世界のリーダーになったのだ。誰もがそう思っているにちがいない。

螺旋階段

献身的な労働者たち (62〜64ページ)

勤労意識の高さはサラリーマンだけではなく、エンジニアや整備工や労働者にも見られた。単純作業のような仕事もふくめ、日本では「迅速さ」や「完璧さ」が求められ、今でもそれは変らない。

宅急便の配達人は駆け足で荷物を運び、レジ打ちの店員たちはひとつひとつの品物の値段を読み上げながら素早く金額を打ち込む。工事現場の作業員は埃と危険に歩行者をさらさないよう、細かい配慮を配りながら安全な場所へ誘導する。日本以外の国でこうした光景を目にすることはあるまい。日本の電車は時刻表どおりに運行するうえ、車内はもちろん外側もピカピカで清潔だ。落書きなどひとつもなく窓も完璧に清掃され、完全に乾燥してある。ゴミ収集は決められた日時に行われ、道路はいつも清掃されてゴミがない。

完璧さを求める態度は、今後ますます高まる競争市場において欠く事のできない要素となるかもしれない。だが過剰なまでの完璧さの追求は異常なストレスをひきおこし、過酷な負担をかけ、新たなリスクを生み出すかもしれない。

「渋み」という名のブランド (88〜89ページ)

昭和という時代の遺産は複雑だ。失われた価値の中には残念だと感じるものもある。はっきりとした目的。社会にあった結束感と安心感。その一方で、サラリーマンの滅私奉公的な就労形態などは改善されつつある。

そうではなくて、もっととらえどころのない、典型的な昭和の本質についてはどうだろうか?過去にあったがもう永遠に取り戻すことのできない、失われてしまった昭和の価値とは?

それは「渋み」ではないかとわたしは思う。「渋い」という言葉はシブ柿の渋味のことをさす。「渋い」というと、伝統的な日本の嗜好を思い浮かべる。くすんで洗練された趣。華美ではないが雅致がある。すなわち簡素なこと。「渋み」は深い内面の豊かさをほのめかしている。文人たちの表情や物腰にみられた一種の落ち着きであり、教養ある階級の日本人のアイデンティティーのようなものだった。

「渋み」は昭和30年代の日本で暮らしたわたしが発見した宝だった。日本人の精神をわかったと思った時に発見した。そしてそれは永遠にあるものだと信じていた。ブランド品などではなかったが、それ以上の価値があった。内包的な人生の基調だった。

ところが「渋み」は他のブランドに負けた。特に「スーパーブランド」に負けてしまった。もちろんそれはきわめて別物といえる。しかし昭和に比べるとはるかに裕福層が広がり、暮らしも欧米式にかわってゆき、かつては憧れだった洋風の生活が普通になってしまった今では、「渋み」はだんだんと時代遅れで野暮ったいものになってしまった。「渋いネクタイですね」とほめられた事もあったが、今では同じネクタイをしていると「なんだか色あせてるね」と言われてしまう。

「渋み」はもはや失われてしまった。それにとって代わるほどの深みと重みを備えたものはまだ無い。

(平成19年5月23日 溝口広美訳)


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