変容する社会2
日本人のアイデンティティ

日本の若者の多くが疎外感を抱いている。

これは個人のアイデンティティと国のアイデンティティ喪失のためだ −と、断言するのは単純で危険だが、そう言いたくなるのにも理由がある。

日本では、人間のアイデンティティは社会や家族の枠組みの中で強く規定される。西洋社会では個人のアイデンティティはパーソナリティーすなわち人格と結びつき、いかなる集団的枠組みの中にあっても、その根本は変らない。辞書では「アイデンティティ」を個人レベルと集団レベルにおける存在意識と定義している。この言葉はラテン語のidem つまりthe same(「同一」)から派生したものだ。

日本における集団や家族の構造的きずなは非常に強いと言えるだろう。ところが、過去数十年の歳月を経て、社会のいたるところで断絶が生じ、それは多くの日本人のアイデンティティに影響を与えた。

世代間の断絶は西洋社会でも見られる傾向だが、日本の場合それが特に顕著にあらわれている。たとえば、両親や祖父母の世代にはあった倹約、質素、誠実、素直、礼儀、貞節(特に女性の)などの概念。ところが現在35歳以下の世代にはその反対の価値観や概念の方が馴染み深いようだ。親に反抗する若者の話はどこの社会にもあるが、日本の場合は実に身を切るような様相をしめしている。仕事中毒の父親とその共謀者の母親の存在にくわえ、絶え間なく押し寄せるコマーシャリズム、セックス、新奇で奇抜なものの洪水のおかげで、まるまる一世代が、それ以前の世代の日本人たちが敬っていたすべてのものと絶縁してしまった。若い世代の反抗は多くの家庭にとりかえしのつかない断絶をつくってしまった。

戦後の経済成長期には、日本の勤労者ひとりひとりが「我々に求められていること」を自覚していた(当時、女性はほとんど家庭にとどまっていたから、職場は男たちの持ち場だった)。敗戦後の国家再建と、世界経済第一位のアメリカを追い越すという目標を達成するために、一般庶民はなんの疑いも不安も抱かず邁進した。ところがバブル経済がはじけ、経済成長率もかつてのような右肩上がりではなく横ばいとなり、グローバル化の波が押し寄せる現在、国のリーダーたちは、勤労者たちを鼓舞する新しいスローガンをなかなか明確に提示できないもどかしさを痛感しているようだ。

世界の中で、またアジア地域の中での日本の定位置が定まらなくなってくると、国家のアイデンティティにも問題が生じる。長い間、雨が降ろうが槍が降ろうがどっしりと安定していた、特別な、ほとんど神々しいともいえる「日本的なもの」が、今の世界的規模の政治的状況の前では立ち打ちできなくなってきている。一体、21世紀の世界の中の日本の「実際的な価値」とは何か?そもそも何が「日本的」なのだろうか?

メディア・文化研究家の岩淵功一氏は日本/日本人という概念を文化的構築物ととらえ、19世紀のヨーロッパでオリエンタリズムがもてはやされたときにつくられた典型的なイメージに呼応して出来上がった概念だと述べている。当時の日本のリーダーたちはヨーロッパで作られたイメージを非難するかわりに、それを受け入れたうえで、それを、国家団結のため、民族意識を鼓舞するために利用した。西洋の軍事力、経済力、技術力に追い付こうと躍起になっていた時期に、明治維新の先駆者たちは率先して日本の独自性に注目した。

国民を結集するために「日本的なもの」を強調することはきわめて重要である。戦略的に「日本」を取り上げることで国家の関心を最大限の課題とし、個人は最小限のものとして扱うことができるからだ。こうして国への献身や忠誠という概念ができあがる。(Koichi Iwabuchi, ‘Complicit exoticism: Japan and its other’1994)

「日本人」は古来より優れた国民性を受け継いでいるという、意図的に作られた言説のおかげで、意味深いふたつの産物がもたらされた。1930年代あたりから始まった「日本人論」という文学ジャンル。そしてもっと重要な意味を持つ、日本人独特の性格や態度というものの形成。

日本人論への関心は時代とともに生まれてはしぼむの繰り返しだったが、決して消え去ることはないといえよう。それは西洋人と日本人の両方によって論じられ、根底にあるものを独自の見方でとらえようとする学者もいれば、「日本人論」を発端として議論を展開する論者もいる。1980年代になると、日本の強力な経済パワーとそれに悪戦苦闘するアメリカを背景に、過激な「日本人論」が生み出された。『ノーと言える日本』(1989年)は物議をかもしたが人気の高い読み物となった。右派政治家として名高い石原慎太郎現東京都知事とソニーの盛田昭夫会長による共著だ。従来の日本人論とは異色の読み物だが、日本の偉大な才能を日本と日本人の特異性に結びつけ、アメリカは日本に対して尊敬 − 日本が受けるにふさわしい尊敬 − をはらうべきだと、きっぱりと述べている。歴史的にも、技量や技術や経済の分野でも、日本はアメリカとともに世界のリダーシップをとるべきだというのが彼らの主張だ。

日本人論の問題点は、日本の「国家アイデンティティ」というものが明確に定義できないことから、そもそも「日本人」とは何かということについて、じっくりと吟味できるまでに議論が深まらないところにある、とわたしは感じる。日本のように比較的単一性を保っている社会ですら、地域や階級や個人の違いは実は他の社会と同様に大きい。かりに「日本人なるもの」を、ひとつにまとめるような何らかの要素や基準を使って定義したとしても、それは使い古された定義となり、いつしか言葉は空洞化してしまうか、違う文脈にあてはめたら意味をなさないものとなるだろう。

たとえば、明治時代に日本を訪れた西洋人たちは日本人労働者の怠けぶりを書き留めた。もちろん今ではそんなことを言う人はひとりもいないだろう。また、わたしが日本にはじめてやってきたのは昭和25年だったが、当時は電車の中や公共の場で日本人は平気でゴミを捨てたり嘔吐していたものだった。つまり日本人は「ヘドがでるほど」うんざりする人たちだ、と言ってもまちがいではなかったといえるだろう。

レッテルを貼るのはたやすく、一度貼られたレッテルはなかなかはがれない。たとえ事実は違うと言われても、一度貼られたレッテルはつきまとうのが常だ。

日本の特異な文化、優れた社会、倫理に裏付けされた価値観のおかげで国は成功したという教えは、その成功がなんであれ、これまでの教育の中心的な教義として汎用されてきた。明治維新の時代と太平洋戦争後の国家再建の時期にそうした要素が大きく貢献したことは確かである。だが、その結果、批判精神を育み自力で事を成そうとする態度は弱まってしまったとはいえまいか。つまり、日本全体が「過保護な国」になってしまったのだ。

過去20年の間に政治・経済はめざましく発展したが、一方でさまざまなレベルの安全の確保は困難な世の中になった。日本特有の強みがすべて失われたわけではないが、今ではその多くが通用しない。少なくとも多くの日本人がそう感じるようになってきていることは確かだ。もしかしたら、誰にも真似できない日本独自の国民性と信じられてきたものが、実は昔の先賢たちによって日本人の身体に刻印された習わしにすぎなかったのではないだろうか。もし21世紀の現在、そうした習わしが形骸化してしまったと人々が感じるのなら、そのようなものは一新できるはずだ。

いやそうすべきなのだ。

(平成18年12月溝口広美訳)


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