アジア地域における躍進的な経済大国として、中国が台頭している。日本は、行き詰まっている。国際舞台における主要国日本としての地位を、いかにして守ればいいのか。少なくとも、印象としては、G8からG20へ変わり、日本の地位は下がったわけだ。そもそもG8の歴史は、1975年に構成された主要6カ国(フランス、西ドイツ、イタリア、日本、英国および米国)から始まった。日本は唯一の「非西側諸国」だった。その後カナダとロシアが加わり、G8となった。 8カ国から20カ国へ拡大したことは、世界の主導権が西側から離れてゆくことを物語っている。殊に、これまでの「米国主導型世界」から、中国やインドやブラジルなど経済成長著しい新興国が主導権を握る「多元的世界」へ移行していると言えよう。G8の影響力の低下はなにも日本だけではなく、西側諸国にとっても気がかりな問題だ。それでもなお、日本が最も押し遣られていると感じているようだ。何故か。 敗戦後、日本は西側諸国 − とりわけアメリカ − からどのように思われているのかということに、大変神経質だった。経済成長、技術テクノロジー分野での発展、ゆるぎない平和貢献などを実現したおかげで、1960年代になると日本は、いわゆる、世界の「A級国家 G6あるいはG8における日本の「声」はいつでも小さいというのが、日本国外における意見のようである。おおむねアメリカの言う事に従っている日本。独自の提案をしない日本。こうした日本の受け身の態度の原因は、アイデアが枯渇していることや低いコミュニケーション力にあると非難されてきた。
日本のリーダーに対し、もっと明確で説得力のある声を求める意見が、新聞や雑誌にはあふれている。学界で、政財界で、そしてもちろん外交面において、はっきりと発言してほしい。「知ったかぶり」の外国人識者が日本に指を振りながらこうしたことを言っているのではなく、多くの場合、日本人自身が指摘しているのだ。 これまで新聞で目にした意見の数々を紹介しよう。さまざまな立場から、日本人の下手なコミュニケーション、独創性の欠如、発言したがらない性質について指摘している。 中国の台頭について トヨタ自動車のリコール問題について 英語教育について 発言することについて 主要国の間で本格化する金融機関への規制強化の動きについて
学者同士の英語によるコミュニケーションについて オープンな議論をしないことについて アメリカとの「対等な関係」を望む鳩山政権について 人間関係のあり方について 日本におけるトップレベルの大学について 以上、日本に豊かな発想と英語による円滑なコミュニケーションを求める人たちの意見を抜粋してみた。ところが、日本のリーダーたちがこうした意見に耳を傾けているとは思えない。たとえば、英語による円滑なコミュニケーションの必要性を、日本政府は感じていないと思わせる具体的な一例として、2010年1月14日に外国特派員協会で行われた原口総務大臣のスピーチを取り上げてみたい。会場に集まった外国特派員には、彼の英語のスピーチ原稿のコピーが配られた。正直なところ、原口大臣のスピーチは、彼の嘆かわしい英語力のため、部分的に理解不可能だった。日本語から英語への翻訳が悪いのか、大臣自身の原稿に難があるのか、定かではないが、英語でMinister for Internal Affairs and Communicationsと呼ばれる総務大臣のスピーチとしては、大いに問題がある。 コミュニケーションの問題は、日本社会の内向性にあるのではないかと思う。理路整然とした議論より、情に訴えるきらいがある。慎み深く、集団志向性が強く、目立つこと、指導的立場に立つことを躊躇する − 日本文化において讃えられてきたこうした性質が、グローバル化する時代では、深刻なハンディキャップとなってきた。 雄弁でアグレッシブな世界の状況下で、なすがままに任せている日本に、方向転換を期待することはできるのか。たぶん、おそらく…。とにかく、事態の深刻さを認識することが先決だ。まずは、独自の考えを持つことと英語を駆使することの大切さを主眼とする教育を導入すべきだろう。 (平成22年4月30日 溝口広美訳) |
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