変容する社会16:日本の未来は絶望的か、それとも希望の兆しがあるのか?

年末に都内の繁華街へ出かけたら、買い物客や家族連れで賑わっており、日本の未来を悲観する要因などないと感じた。


暗くなる、それとも、明るくなる?

だが、絶望感はあからさまには表出されない。他人に余計な心配をかけないことは昔から尊ばれてきた「気配り」であり、今でもそうした配慮はしばしば感じられる(自由気ままに暮らす若者たちをのぞいて…)。心配事があっても口にせず、なんとなく不安な気分ではあるが、直接日常生活を脅かすまで深刻というわけではない。ただし、失業者や貧困にあえぐ人たちの「心配事」は切羽詰まったものだろう。

ところが、広がる不安が思わぬ場面であらわにされることもある。新年の挨拶ということで、私は知り合いのお宅へお邪魔した。80歳を過ぎた一人暮らしの未亡人は、おせち料理でもてなしてくれた。私のほかに、ふたりの女性が集まった。ドレスメーカーを営むご婦人と看護婦長で、どちらも60代だ。食べ物と天気についての話題が尽きると、いつしか私たちは日本の「不安」について語りはじめた。

三人の女性たちが描く日本の未来像は暗澹たるものだ。日本は中国に追い抜かれ、もしかしたら中国の一部になるかもしれない。私は、日本は島国なのでイギリスのようにいつでも独立国家であるだろうと反論した。ところが、たとえそうであっても、中国の影響力は日本への多額の投資や日本市場への参入、中国からの大量の旅行者、そして「日本いじめ」を通して発揮されるに違いないと言う。日本は中国へ対し何もできない。若者たちは「あまりにも軟弱」だ。加えて、日本が少子高齢化社会へ突入する一方で、中国の人口は増加している。看護婦長は、日本の少子高齢化が長期的には社会に得をもたらすだろうという見方をする。「私たちの世代がいなくなれば、若い世代は大量の高齢者の面倒をみる負担が軽減されるにちがいない。また、少ない人口のおかげで、過剰な資源供給や土地利用は見直されることでしょう。」

60代の女性たちは民主党の力量不足は否めないと言う。自民党に飽き飽きした有権者が民主党に投票し、そのおかげで政権交代したという考えは、たしかによく聞く。80代の未亡人は民主党が日米同盟をとやかく言うのは間違っていると述べた。彼女の意見はこうだ。台頭する中国に立ち向かうには、日本にはアメリカが必要だ、たとえその関係がかつてほど強固とはいえなくとも。戦後の日本社会が発展できたのはアメリカのおかげなのだ。アメリカがソビエト連邦の日本侵攻を防いでくれなければ、日本はどうなっていたというのか。今度は中国が日本を狙っている…。

日本人の有識者たちの多くも、しばしばこのような見方をする。元旦のジャパンタイムス紙に寄せられた半藤一利氏の意見はこうだ。21世紀は中国の世紀となり、アメリカが唯一の大国である時代は終わるだろう、こうしたことをふまえ、日本は自らが進む道をしっかりと考えなければならない。

2009年7月には、国際交流基金の小倉和夫理事長が、過去10年から20年の間に日本人全体が「内向き」になってしまったことを指摘した。日本の経済力が急速に弱まる一方で、次第に村上春樹の小説、マンガやアニメ、コスプレ、オタク文化といった「ソフト・パワー」が顕著になってきた。小倉理事長は日本が「量より質」の時代へ移行しつつあるとみなし、日本は「委縮」しているのではなく、国際社会にアピールするため自らを再定義しているのだと結論づける。


ソフト・パワー?

日本の文化や社会でみとめられる新しい兆しを悲観せず肯定的に解釈する小倉理事長に拍手を送りたい。だが、彼の見方ですら、日本を「統一的なもの」としてとらえている。先端技術を有し高品質のモノづくりができると同時に、才能あふれるアーチストやデザイナーの作品もあるという文化的社会的多様性を秘めているのが現在の日本の姿だ。さらに、教育、ファイナンス、建築といった知的分野におけるサービスも世界に提供できる。

上述した三人の女性たちが描く日本の未来像は暗澹としているが、私に言わせれば、日本の未来は暗くも明るくもない。日本自体が複雑化しているので、一言では定義ができない。もはや日本は「経済大国」ではないし、日本人は「エコノミックアニマル」とはいえまい。アニメとコスプレだけというわけでもない。つまり、日本もようやく西欧諸国のように、「多面性あふれる社会」になったわけだ。単純で十把一絡げのレッテルをつけて満足するのではなく、ゆっくりではあるが日本もついに真の意味で成熟した国、言い換えると、いまいましい矛盾に満ちている社会になりつつあるといえよう。

こうした社会の本質的な変化に対応するためには、「国家」や「会社」や「両親」が自分の面倒を見てくれるとはかぎらないことを諭すことが重要だ。個々人の人生の希求や自己責任に対しもっと目を向け、秩序だった社会という枠組みのなかで自分の選択肢を見極める力をつける教育を推進すべきだ。


ケータイ中毒

それには、他者とのコミュニケーションスキルを通じ、自分に自信をつけてゆくことが大切だ。香山リカ氏は、過去10年間に鬱病を訴える人口が急増したと述べている。自分より「運のいい奴」をネットで即座に知り、鬱鬱とする。若者は社会から隔離されてゆく。家族と話す時間より、携帯電話で長話をする時間のほうが長いという。その結果、人間関係は希薄になると香山リカは指摘する。

政治家でも学者でも作家でもかまわない。日本中をおおう暗い気分を指摘し、そこから抜け出そうと言うだけにとどまるのではなく、さらに一歩踏み出した意見を聞かせてほしい。私たちは、根本的に変わりつつある社会でただ生きてゆくだけではなく、己に課せられた新たな役割を見つけるために努力していかねばならないのである。

(平成22年1月7日 溝口広美訳)


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