第2回

我が道をいくオランダ人と、彼らの奇妙な常識感覚 (後編)

前回は、自国のセキュリティーと安心を求め、オランダ人が何世紀ものあいだ取り組んで来た、猛威をふるう北海、定まらない気候、そして(時々ではあるが)威丈高になる近隣諸国という三つのチャレンジについて述べた。

今回は、実践的に問題を解決するオランダ人の日常に焦点をあてる。さらに、そうした「オランダ流やり方」が上手に機能をしていない面についても、触れてみたいと思う。

● オランダ人はノイズ(騒音)を嫌う
公共の交通機関や公の場におけるアナウンスは最小限にとどまっている。メガフォンを通して観光客にガイド案内をすることや、店先で客引きをすることは皆無だ。カフェやレストランでのBGMはオランダにも存在する。しかし、店に足を踏み入れた途端の「いらっしゃいませ!」、店から出る瞬間の「ありがとうございました!」というかけ声はオランダには絶対にない。また、「サイレンス」専用の車両を除いて公共の交通機関で携帯電話を使用することは、オランダでは許されている。ただし、他人に迷惑をかけないように。とはいっても、この“決まり”はよく“拡大解釈”されるわけだが…。

磨きのかかったドアノブ
アムステルダムの運河沿いを
歩いていた時に見つけた、
磨きのかかったドアノブ

● オランダ人は清潔好き
これはよく知られているオランダ人の一面といえるだろう。だが、オランダの都市部を訪れると「どこが?」と思うかもしれない。落書き、犬の糞、ポイ捨ては大都市が常時抱える問題だ。だがコスモポリタンな大都市から離れると、様相はずいぶん違ってくる。小都市や村で暮らす人々はいまだに「近所の目」を気にし、自宅の玄関を清掃したてのように磨き上げている。

● オランダ人に賄賂はきかない
オランダの政治や官僚の世界は、おおむね汚職とは無縁といえよう。汚職の割合を計る国際的指数によれば、オランダは、ニュージーランド、シンガポール、スイス、北欧3国とともに、もっとも汚職の少ない国とみなされた(ちなみに、日本はアメリカやイギリスと肩を並べ、汚職の少ない国第17位にランキングされている)。権力に物言わせたり官僚を買収したりすることが当たり前という国に比べ、オランダでは「権力」が思うように機能してくれない。だから、汚職が少ないのかもしれない。個人のアカウンタビリティは高く、集団にまぎれて隠すことや、「いつものやり方」と公言することが難しい。

● オランダのホームレス事情
オランダの路上では、あまりホームレスの人たちを見かけないし、物乞いをしている人もよく見かけるわけではない(酔っぱらいや麻薬中毒者などはしばしば見かけるが)。社会全体に行き渡るオランダの社会保障制度のおかげであることは明らかだ。不法滞在していないかぎり、ほとんどすべての国民が保障の対象となる。セーフティーネットは正社員のみならず、パートタイム労働者や契約社員などにも適用されている。ところで、オランダでは不法居住が問題だったし、今でも問題となっている。これは空きビルなどに侵入し、あたかも自分の住居のように使用する行為だ。最近まで、この行為は法的には取り締まることができなかったが、2010年6月をもって、不法居住は違法とみなされるようになった。

花で飾られた自転車
アムステルダムで見かけた、
花で飾られた自転車

● オランダ人は自転車好き
オランダ人は通勤、買い物、レジャー、その他ありとあらゆる場面で自転車を利用するといわれている。富裕層ですら、高級車は自宅の車庫に入れ、そのかわり、自転車に乗って自然の中でエクササイズをすることもしばしばだ。だから、オランダ人は世界一長身になったのかもしれない(平均身長は182.9センチ)。自転車専用道は至る所に設けられているし、駐輪場も完備されている。自転車を電車に持ち込むこともできる。

● オランダ人は健康的
オランダ人が比較的健康なのは、国産の野菜や果物、乳製品、地物の魚に加え、最近では大手スーパーでも見かけるようになった有機栽培の品々を食する健康的な食生活のおかげかもしれない。また、おおむね楽観的な人生観も大いに影響しているにちがいない。オランダを訪れる人は、食事の量が多すぎると感じるかもしれないが、がっしりとたくましいオランダ人にはちょうど良い量のようだ。オランダでも肥満は問題化しつつあるものの、10パーセントという値は先進国の中では低いだろう(アメリカの30パーセントがトップで、日本はたった3パーセント)。

● オランダ人の自由な発想
オランダ人はスポーツをしている時でさえ、自由な発想を実践したがる。トータルフットボールを思いついたのはオランダ人だ。選手同士が空いているポジションを補い合いながら、チーム全体の構造を保つ。こうした流動的なシステムにおいては、選手たちは決められたポジションに固定せず、順次ある時はフォワード、ある時はミッドフィルダー、またはディフェンダーとなる。ゴールキーパーだけが固定している。トータルフットボールがワールドカップを制覇することはなかったが、大いに注目を集めたことは確かだ!

つまり、オランダ人が間違うことはないのか?

ここまでは、好い事ずくめだ。でも、オランダ流のやり方の欠点があるとしたらなんだろうか?

● 意思決定参加の難点
オランダ人が誇る独立独行の精神と、民主主義を固守しようという意志のため、オランダの政治は複雑化している。現在オランダには11の政党が存在する。比例代表制のため、委任統治を託されるに十分な投票数を集めることができる政党がない。だから連立政権という、イギリスでは珍しいとみなさている政権形態が、オランダでは何十年間もとられてきた。決定するまで、冗長で抜け目のない政治的交渉がしばしば起こる事もある。

改修工事
アムステルダム国立美術館の
長引く改修工事はいつ終わる?

政治以外の場面でも、オランダでは‘inspraak’と呼ばれる「意思決定参加」の伝統があり、そのため時には遅延が生じる。「意思決定参加」が手に負えなくなる一つの例は、アムステルダムの国立美術館の大改修をめぐる、あらゆる立場からの声、声、声。世界中でヒットしたドキュメンタリー映画『ようこそアムステルダム国立美術館へ』(2008年)を観れば、その騒動の様子がよくわかる。1999年に決定した改修作業は、2013年になっても終わることはなさそうだ。


● 移民問題
独立独行の精神が引き起こす、もっと深刻な現象は、移民の多文化主義を容認してきたことだ。他のヨーロッパ諸国同様、主にトルコや北アフリカからの「ゲストワーカー(ゲストとして招かれた労働者)」は、そもそも契約が切れたら帰国するということで雇用された。彼らが社会に同化することなど、関心外だった。

ところが、そうした労働者がとどまり、故郷から家族を呼び寄せはじめると、彼らは移民となりオランダ国籍を取得した。それでも政府の政策はこうした現実に対応しなかった。政治的公正やオランダの寛容の伝統が多文化主義の原理原則と合体した結果、オランダ社会はマイノリティー人口を多数抱えこんでしまった。そうしたマイノリティーたちは移民の子孫なので、生粋のオランダ人とはまったく異なる価値観を持って生きる。このため、社会にかかる負荷は増加し、さらに追い打ちをかけるように経済不況が生じると、右派の移民反対(すなわち反イスラム)の訴えが有権者に支持されるようになる。そうした反イスラム右派の政治勢力は、おそらく今後のオランダの政治において、無視できないほどのものになっていくだろう。

まとめ

多様性はあるものの、オランダ人は柔軟性に富んでいるようだ。問題は隠蔽されるのではなく、公に問われる。日々の生活においてはイデオロギーや宗教に頼らず、常識的判断をよりどころとする。政府の力は制限的で、法による裁きが尊重される。正義と法の公正さがどの程度正しく実践されているかを調べるWorld Justice Projectというプロジェクトのレポートでは、スエーデンとともにオランダが高く評価されている。社会福祉制度を通して富は分配され、人々も互いに助け合う。国のプライドはあるが、見せびらかすことはしない。オランダ人は自らを個人主義者であると同時に国際人と思っている。多文化主義で片付けた移民問題の失敗はオランダ社会と政府にとって、重大な課題をつきつける。移民を排除するのではなく、時間をかけて同化させてゆくことで、この問題が解決できればと人々は願っている。

‘Heb je geen paard, gebruik dan een ezel’という古いオランダの諺がある。意味は「馬がなければロバを使え」。つまり、オランダ人というのは、なにかしらの手段があるにちがいないと信じているのだ。

(平成22年10月31日 溝口広美訳)


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