***1月***

1月25日 そろばん復活!

私がオランダのナショナル・ハンデルス銀行の日本支店(神戸、大阪、東京)に勤務していた昭和25年から35年にかけて、日本人スタッフの中で、とりわけ、際立っていた人物がいた。輸出手形課のヘッドの矮松岩一さんで、電卓で計算済みの数字を、そろばんで、必ず確認することで有名だった。

私のそろばん
私のそろばん

速くて、おそらくもっと正確な計算をしてくれる(と信じられていた)電卓の代わりに、時代遅れのそろばんなどを使っていると矮松さんをからかう日本人スタッフさえいたことを、私は覚えている。

ところが、そろばんが復活したというではないか!英字新聞ジャパン・ニューズによると、脳を活性化させるにはそろばんが最適で、今でも日本に数多くのそろばん教室が存在するのは、そうした背景があるという。

そろばんの起源は、今から4,000年前のメソポタミア文明にあると言われており、シルクロードを通じて西欧から中国へ伝わり、そこでそろばんの原型が出来上がったそうだ。日本へは、室町時代の後期あたりに伝わってきて、昭和10年には小学校の必修となり、現在は小学3年4年の算数の授業でそろばんが学ばれている。

全国珠算教育連盟によると、世界では100か国以上でそろばん学習が行われている。マレーシアには世界最大大手のそろばん教室UCMASがあり、アメリカやヨーロッパやその他の地域に100万人以上の生徒を持つと誇らしげに述べている。

***5月***

5月10日から20日 アムステルダムを訪れる

4年ぶりにオランダの首都アムステルダムを訪れた。宿泊先は世界遺産で有名な17世紀の環状運河地区からそう離れてはいない場所にあるホテルオークラ。

13歳の時、私たち一家はハーグ市郊外のワッセナールという小さい町から南アムステルダムのアムステルカーダ143という場所に引っ越した。1945年5月に第二次世界大戦が終わり、それから4か月経った9月のことだった。その日は、オランダ全国民が十ギルダー紙幣のみを所有し、みんなが等しく金持ちでもあり貧乏でもある日となった。ピーター・リフティンク財務大臣にちなんで、「リフティンクの10ギルダー紙幣」と呼ばれた。戦時中、不法に儲けられた金銭を国から一掃することが目的だった。自分の所有する(銀行口座の残高も含めた)現金が正当に得られたものであることを全国民が証明しなければならなかった。「嫌疑なし」と認められた時点で、自分の所有するお金にかけられた一時的規制が解かれたのである。

ホテルの部屋の窓から

宿泊先のホテルの部屋の窓からアムステルカーダ143が見えた。78年前とちっとも変わっていなかった。1945年の時のままだ。アムステルダムの中心地も昔と同じだ。

滞在中に、4歳年下の妹のソンヤと彼女の子どものエドとアヌーク、彼らの家族などと再会した。

旧友のエイスブラント・ロッヘや、ハンス・ファン・ロッサムと彼の娘のルースとも楽しいひとときを過ごした。アーサー・ゾラーは自家用車でアムステルダム中心部を案内してくれた。おかげで自分の目で街を見ることができた。

旅費は高額だったが、思い出深い旅だった。

***6月***

6月9日 ソーシャルメディア(SNS)が若者に与える悪影響について

ワシントン・ポスト紙によれば、米国の若者のメンタルヘルスは危機的状況にあり、その要因はスマホの使い過ぎであるという。この10年のうちに、私たちの身体の一部となってしまった感があるスマホ。今日、全米の十代の若者の95パーセントがSNSを使用し、そのうちの3分の2がほぼ毎日利用しているという。子どもの7人にひとりがSNSを毎日7時間以上使っているという。

2021年の調査によれば、42パーセントの高校生が常に悲嘆し絶望的な気持ちであるといい、およそ18パーセントは自殺を考えたと回答した。

日本でもスマホの過剰な使用は明らかに深刻で、自転車に乗りながら、あるいは友達と一緒にいながらも、スマホばかり見ている若者を見かける。

6月11日 茶道の重要性について

100歳になる裏千家家元の千玄室氏が、一盌(いちわん)の茶の心こそ争いのない世界をつくると強調しつつ、6月9日にシドニーで献茶式を行ったことを、本日の英字新聞ジャパン・ニューズが報じた。

オーストラリアとその近隣国からの参加者約200人を前に「一盌のお茶から私たちの故郷である美しい地球を思い出してください」と千玄室大宗匠は述べた。「皆が謙虚な気持ちになって緑のお茶を勧め合えば衝突はなくなります」

亡妻が使っていた茶道具
亡妻が使っていた茶道具

参加者の前でお点前を披露した後、和服姿の大宗匠は16世紀より続く千利休の茶道の心得や道具について、とても100歳とは思えないほど熱心に語った。

長寿の秘訣については「母のおなかにいる時から茶を頂いている。一番大事なのは茶に臨む姿勢や構えだ」と述べた。ウクライナの首都キーウに茶室をつくったこともある。数日前にその茶室でお茶をたてている動画が送られてきた。その動画を見ながら「戦争が起きていることなど忘れてしまった。涙がこぼれた」

千玄室さんは、非暴力と平和を体現するひとつのお手本といえよう。それはまさに日本的生き方だと、私は思う。

6月21日 プレミアム席で見る祇園祭のお値段に仰天

山鉾巡行
山鉾巡行

7月17日に行われる京都の祇園祭の「山鉾巡行」のプレミアム観覧席が1席40万円で売り出された。畳に座椅子を置いた和風の席で飲み物やおばんざいが提供される。観光庁と京都市観光協会が、海外からの観光客の回復を図るために試みたものだ。はたして、この「プレミアム観覧席」を購入する外国人観光客はいるのだろうか?


***7月***

7月3日 オランダ国王が奴隷制関与を謝罪する

7月1日、オランダのウィレム・アレクサンダー国王は、17世紀から植民地を有していたオランダが奴隷制や奴隷貿易に関与していたことに対し謝罪したと、英字新聞ジャパン・ニューズは伝えた。オランダはスリナムやカリブ海をはじめとする植民地で奴隷貿易を行なっていたが、1863年7月1日に奴隷制度を廃止した。しかし、その後も長い間、奴隷として扱われた人々はプランテーションなどで強制労働を強いられ続けた。

国王は、「本日、私は王として、政府の一員として皆さんの前に立ち謝罪します。心より言葉の重みを感じております。(奴隷制廃止から150年目の)今日、人道に対する犯罪に対して行動しなかったという明らかな失敗について許しを請います」と、エモーショナルに述べた。

スピーチの終わりにさしかかると、感極まった国王は声を震わせた。その後、彼は国立奴隷記念碑に花輪を捧げた。

7月19日から22日 東京滞在

日本での4年間に及ぶ任期を終えることとなった駐日オランダ王国のペーター・ファン・デル・フリート大使のお別れ講演会に出席するため、東京へ出かけた。

大使公邸で行われた講演会の後レセプションがあり、他の出席者たちと会話を楽しむこともできた。

レセプションの様子1 レセプションの様子2
レセプションの様子

宿泊したのは高層化されたホテルオークラ東京。部屋の窓から見えるのは高層ビル群ばかりで、わたしが暮らしていた昭和35年頃から45年頃の東京の姿とは大きく異なる。当時は超高層ビルというものがまだ存在していなかった。

ホテルオークラ東京。部屋の窓から1 ホテルオークラ東京。部屋の窓から2

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